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1960年代の銀座 [邦画]

私が洋楽に興味を持ったのは小学5年生だった1965年で、好きだったのはベンチャーズの"パイプライン"や"ダイアモンド・ヘッド"などでしたが、クラスの友人達の間でも”テケテケ・サウンド”が話題になっていました。放課後は鼓笛隊が練習している音楽室へ行き、友人にシンバルを持ってもらい私はスネアを台の上に置いて、初歩的なリズムを叩いていた、やんちゃ盛りの頃でした。 

ベンチャーズの曲をカバーしたPOPSとしては、奥村チヨの「北国の青い空」、渚ゆう子の「京都の恋」などのヒット曲がありますが、ベンチャーズを最初にカバーした楽曲は1966年11月にリリースされた、和泉雅子、山内賢の『二人の銀座』だったと思います。私が好きな当時の曲の中でも、群を抜いていたのがこの曲で、レコードで初めて聴いたのは小学6年生だった1966年の暮れでした。当時既にG・Sでデビューしていたサベージ、シャープ・ホークス、ワイルド・ワンズがいましたが、まだG・Sブームにはなっていなく、歌謡曲が中心の時代でした。

『二人の銀座』は、1967年2月に上映された同名の日活映画の主題歌にもなり、同じく1967年にベンチャーズのカバー曲第二弾、『東京ナイト』がリリースされて、10月には同名の日活映画『東京ナイト』が上映されました。いずれも黄金の'60年代と言われた、当時の銀座のシーンが映し出されています。私としては晴海通りに面するビルの、地球儀をモチーフにした森永の広告塔を見ると懐かしさが込み上げます。

私は中学に入学した1967年頃から、友人と銀座へ行くようになりました。目的は1965年頃に興味を持ち始めていたIVYルックが元で、VANショップの1号店だったテイジン・メンズショップ本店と、数寄屋橋阪急店へVANの商品や小物を見に行く事でした。この頃は渋谷三峰、新宿伊勢屋、等‥のVANショップ。デパートにはVANコーナーがたくさんありましたが、やはりIVYというと銀座で、銀座でVANの服を買う事が一種のステイタスでもあったわけです。当時の私はIVYルックを着ていたせいか、周りからは高校生だと思われていました。(13歳から老けていたのかしら?)

中学からは私立の男子校でしたが、さすがに中等科にIVYは少なく、高等科には沢山いました。当時、高等科3年は団塊世代の1949年生まれ、2年が1950年、1年が1951年のIVY世代で、私はVAN REGALのスリッポンでしたが、ウイングチップやプレントゥを履いて通学する先輩達に憧れました。その先輩達のなかに私を可愛がってくださる人がいて、ブルーで襟に白のラインが入ったマンシングのポロを、もう着ないからとくれたり、VANのステッカーなども頂いていました。現在彼らは広告会社や通信会社の支社長などになっていますが、私はというと落ちこぼれました。(汗)

テイメン本店の2階には1966年にオープンしていたVAN-SNACKがあって、明るい採光のパーラーのような店で、当時としては新鮮だったハンバーガーとジンジャーエールが好きでした。マクドナルド・ジャパンが、1号店を銀座三越1階にオープンしたのは1971年でしたね。因みに私の元妻は、青山のVAN本社1階にあったテイメンヘ行っていたそうでした。当時私とすれ違っていたのかもしれませんね。すれ違い夫婦でしたので!(爆)

両作品の映像付きの音源を貼りました。リアルタイムでご存知の方も、そうでない方も当時の銀座をお楽しみください。生まれも育ちも銀座の、和泉雅子さんの舞妓姿が美しいです。現在も花柳界の名残りのある街、向島出身の山内賢さんも爽やかです。向島のエピソードをこちらに書いています。http://www.cafeblo.com/ivyscene1968/archive-20060912.html

先日のブログに書いた福岡のSさんは和泉雅子さんと同じ1947年生まれで、幼少の頃にNHKのテレビ映画などに出演していて、和泉雅子さんとも共演していました。その後、和泉さんは本格的に子役デビューをしていました。

二人の銀座.jpg

二人の銀座

東京ナイト.jpg

東京ナイト


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コメント 8

ナツパパ

「二人の銀座」も「東京ナイト」も良い曲でしたね。
山内賢さんのちょっと高めの声が好きでしたっけ。
ベンチャーズ作曲とは初めて知りました。

中学生の頃、わたしは親に連れて行かれる以外は銀座とは無縁でした。
IVYが好きな同級生が何人もいましたが、乗り遅れていましたねえ。
たしかに私立の高校生はIVYが流行っていましたねえ。
わたしも高校は私立で、その頃からIVYに興味を持ち始めたのでしたっけ。

by ナツパパ (2009-08-16 20:37) 

ぼんくらオヤジ

78年にVANが会社更生法を申請したときは信じられない
思いだったし、悲しかったですねぇ。ある時代が終わったのだと
思わずにはいられませんでした。
by ぼんくらオヤジ (2009-08-16 21:17) 

tateichi

ナツパパさん、お疲れ様です。
夏休み返上でのお仕事は、この情勢下としては何よりですね。

何事も高校生くらいから始める事を、私は少し早かったので、
早熟だったのですね。冷めるのも早かったです。
私の1歳上の友人は小学5年の頃にIVYを知り、
VANの袋に勉強道具を入れて通学したそうです。(笑い)
by tateichi (2009-08-16 22:17) 

tateichi

ぼんくらオヤジさん、ありがとうございます。
単にファッションだけではなく、VANからはいろいろな事を学びました。
'78年の破綻と、4年前の5月に石津謙介さんが亡くなったときは、
大変ショックでした。
ひとつの若者文化を作り、その若者の人生にも大きな影響を与えた、
純ジャパンブランドはもう現れないでしょうね。
by tateichi (2009-08-16 22:20) 

n-project

舘一さんの回顧録、又楽しみが増えました。
by n-project (2009-08-17 11:11) 

miopapa

ベンチャーズが大好きで
この二曲のレコードも・・・
    今でも、我がレコードコレクション?の棚の中に・・・
 もう、口ずさんでいるくらい
      良い歌で、よく歌いましたね!
by miopapa (2009-08-17 19:06) 

tateichi

n-projectさん、早速のご訪問ありがとうございます。
nさんのように深い知識はありませんので、
覚えている事を、懐かしんで書いています。
こちらのURLは仕事関係には公開していませんので、
元妻の事など、裏話も書いています。(笑い)
by tateichi (2009-08-17 19:52) 

tateichi

miopapaさん、ありがとうございます。
私もこの2曲が大好きでした。
数年前にロッテのお菓子のおまけに、
「二人の銀座」のミニCDが付いていました。
こちらは「ロッテ歌のアルバム」の、玉置宏の司会から曲が始まります。
by tateichi (2009-08-17 19:55) 

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