60's Avenue [CANZONE]
無駄な時間を費やす事を最も嫌う合理主義な私は、私生活でも3通りくらいの事を同時進行でやることが多く、毎日を健康で、豊かで、尚且つ美しくて、且つ創造的で、充実したものであるように、価値想像の日々を送るように努めていますが、人生を振り返ると目標の50%くらいしか達成していないかなぁと思う事が多々あります。還暦を迎えるまでの5年で、80%まで持ってゆこうと猛ダッシュです!
学生時代から考えていた事なのですが、私はイタリン・アートを学ぶ為にヴェネチアで数年暮らすつもりで、'84年に新宿住友ビルの朝日カルチャー・センターで、イタリア語を学んでいました。当時はNHKの外国語講座にイタリア語がまだ無くて、JAL国際線のチーフ・パーサーをやっていた友人からカセットなどの教材をもらい、併せて活用していました。
その友人は男性ですが英仏伊独語が堪能で、東京ー北京線の直行便航路が開設された頃に、北京語を3ヶ月でマスターしてC・Aの現地採用に携わっていました。彼らは外語をスピーディにマスターする技を持ち合わせているようです。一流企業では採用条件にTOEIC800点以上などが含まれ、ビジネス会話程度の英語力を求められますが、数ヶ国語を操る人には憧れというより尊敬の念を抱いてしまいます。
30歳にしてこの様な計画を立てていたのは、私は38歳まで結婚をしないつもりでいたのですが、結局のところは翌年の'85年の始めに予定外だった結婚が決まり、'86年の10月には息子が誕生してイタリア行きは断念しました。私の元妻もヴェネチアに留学経験があった人なので、この辺では共感するものがあり、夫婦生活が破綻しなければイタリアで暮らしていたのかもしれません。
私がカンツォーネを好む理由は別ですが、資料にある1965年のイタリアのLPの売上ランキングを見ると、「Studio Uno」というミーナの『砂に消えた涙』が収録されているアルバムが1位になっています。なんと2位と3位がビートルズ(The Beatles For Sale、The Beatles In Italy)で、4位がローリング・ストーンズ(Around And Around)でした。つまりミーナという歌手は当時のイタリアではビートルズ、ローリング・ストーンズを押さえる人気歌手だったのです。
当時はシルビー・バルタンやフランス・ギャルなど、フランス、イタリア系の女性歌手が『イエイエ娘』と称されて、日本ではレナウンのCMで有名ですが、この言葉(ye-ye girls)自体は日本生まれではなく、フランスから発信された'60年代半ばの流行語で、世界的なヒットを飛ばしていました。ミーナもその1人です。
1967年のレコード袋です。ザ・ウォーカー・ブラザース、デイブ・ディー・グループ、ジュリエット・グレコ、ミーナ、日本のG・Sなど、懐かしいアーティストです。拡大してご覧ください。
わたしは好奇心が強くて様々な物に興味を持つ方なのですが、
なかなか実行まで到りません。
始めてしまうと続くのですがね、始めるまでがどうも。
tateichiさんのエネルギッシュな活動は憧れます。
何かを始めるエネルギーがあるのは、そう、あと5年くらいでしょうか、
わたしも。
by ナツパパ (2009-09-15 08:42)
ドーナツ盤の袋の懐かしいことったら!
忘れられませんね^^
by ぼんくらオヤジ (2009-09-15 15:40)
ナツパパさん、今晩は。
気持ちと行動がイコールしないのは、誰しも同じですね。
私は少年時代からいろいろな事に興味を持って、
親からは落ち着きがないとか、飽きっぽいとか言われていました。
少年の頃に親に引かれたレールを踏み外したので、
その分を取り戻そうとも思っています。
by tateichi (2009-09-15 18:54)
トメサン、今晩は。
いつもご訪問とniceをありがとうございます。
by tateichi (2009-09-15 18:55)
ぼんくらオヤジさん、今晩は。
アーティストが入れ替わるバージョンもあるので、
今度UPしますね。
by tateichi (2009-09-15 18:55)
miopapaさん、今晩は。
いつもご訪問とniceをありがとうございます。
by tateichi (2009-09-15 18:56)
shinさん、今晩は。
ご訪問とniceありがとうございます。
by tateichi (2009-09-16 19:13)