春なのに [ニュー・ミュージック]
一昨年の3月に2年ぶりに北海道から東京へ帰っていた頃に、北海道の気候に身体が馴染んでいたせいか、湿度と気温が高い東京の初夏から盛夏にかけて体調を悪くして、仕事をオフにしていた事があったのですが、この冬の寒さのせいか2週間ほど前から呼吸が乱れて、深呼吸を連続しないと胸が治まらない症状が再び出ていました。もう治まったのですが、こちらでお世話になっている循環器のドクターからは、心臓ではなく精神的なものと診断されました。ストレスを回避する事が必要なので、気持ちを他に移す意味で先々週は、集中的にブログを毎日更新していました。今までは飛び飛びの更新でしたので、毎日ご訪問頂きお付き合いくださった皆さんに感謝をしております。
早いもので、今日から3月ですね。卒業をして新しい門出となる学生さんや、移動で他の都市へ転勤になるサラリーマンなど、別れの季節でもあります。中島みゆきの、"♪春なのに お別れですか 春なのに涙がこぼれます"という歌が浮かびます。札幌出身である中島みゆきは開業医のお嬢さんで、北海道の名門校である藤女子大学の出身なんですね。天から二物を与えられたような人でしょうか。オールナイト日本のDJで、北海道訛りの愉しいトークに人柄の良さを感じました。1989年11月15日にリリースされたアルバム、「回帰熱」から『春なのに』と、1979年2月25日にリリースされた、ふきのとうの『春雷』です。音源は、タイトルをクリックしてお聴きください。
『春なのに』
『春雷』
義母がたしか藤女子大の出身だったと思います。
ただ、昭和4年生まれの義母、愉しいはずの学園生活は、戦争の勤労動員で
たしか滝川の方に援農にいかされたと聞きました。
小高い丘に友達と登って、札幌方面を遙かに眺めていたのだとか。
そんなことを聞くと、とても笑えない状況なんですがね、なんかつい、ふと
笑ってしまいます。
by ナツパパ (2010-03-01 08:31)
中島みゆきさんの「24時着0時発」タイトルの発想に何か哲学的なものを感じます。この人に、クリスマスソングがないのも不思議ですね。
by mwainfo (2010-03-01 18:12)
ナツパパさん、
30年前に札幌赴任をしていた頃の取引先担当者が藤出身、
当時お付き合いしていた三菱商事のOLも藤でした。
姑さん、気さくで優しい方のようですね。当時の人達は戦争に青春を奪われても、たくましく謳歌されていたのでしょうね。
by tateichi_m (2010-03-01 21:26)
トメサン、niceありがとうございます。
by tateichi_m (2010-03-01 21:26)
mwainfoさん、
nice900から902まで押して頂きまして、光栄です。ありがとうございます。
「夜会」のプロデュースと演出には、目を見張るものがありますよね。
イマジネーションで書かれている初期の失恋ソングの数々、心を打つ楽曲に卓越した才能と感性を感じます。
アマチュアの頃に書いた、「クリスマス・ソングを唄うように」という曲がありました。
by tateichi_m (2010-03-01 21:36)
ぼんくらオヤジさん、niceありがとうございます。
by tateichi_m (2010-03-01 22:17)
ほりけんさん、niceありがとうございます。
by tateichi_m (2010-03-01 22:17)
ritton2さん、niceありがとうございます。
by tateichi_m (2010-03-02 22:36)
tacit_tacetさん、niceありがとうございます。
by tateichi_m (2010-03-02 22:37)