SSブログ

SOUL TRAIN [Disco Sund]

Gladys Knight & The Pips.jpg

黒人音楽専門のヒット曲を発信した番組「ソウル・トレイン」は、ロサンゼルスのスタジオから全国ネットでスタートをした第一回の出演アーティストのひとつが、"グラディス・ナイト&ザ・ピップス"だったそうです。「ソウル・トレイン」のアメリカでの番組スポンサーは名門百貨店のシアーズでしたが、日本ではファッション・ブランドのJUNが提供して、この番組の人気からソウル・トレインTシャツが発売され大ブレイクしましたが、銀座にディスコもオープンさせてディスコ・ブームと共に新しいトレンドを展開させたのでした。JUNグループにはインディーズ・レーベルもあって、代官山と福岡PARCOのレコード店ボンジュールはJUNの直営です。

"グラディス・ナイト&ザ・ピップス"は全米No.1の人気ヴォーカル・グループと云われ、モータウン・レーベルからブッダレコーズへ移籍して、"ジョージア行きの夜行列車"などのヒット曲でも知られており、"グラディス・ナイト"は1960年代からゴスペルも歌っていたソウル・シンガーです。1973年にリリースされたアルバム「イマジネイション」は翌年1月に全米1位になり、日本でリリースされたシングル「イマジネイション」は、ディスコのダンス・ナンバーとしても大ヒットしました。二曲目も同じく1974年に大ヒットした、"ジョージ・マックレイ"の「ロック・ユア・ベイビー」で、ソウル・トレインに出演時の映像です。

 

Best of Soul Train [DVD] [Import]

Best of Soul Train [DVD] [Import]

  • 出版社/メーカー: Time Life Records
  • メディア: DVD

ソウル・トレイン~70’sディスコ・ヒッツ

ソウル・トレイン~70’sディスコ・ヒッツ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
  • 発売日: 1992/02/28
  • メディア: CD

nice!(7)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 7

コメント 10

ナツパパ

スタイリッシュな皆さん。
こういう服は着る人を選ぶように感じます。
わたしは無理...でしょうね、きっと。
by ナツパパ (2010-09-20 20:39) 

tateichi_m

ナツパパさん、
黒人アーティストの、スタイルやリズム感は抜群ですよね。
ナツパパさんは大柄な人だそうなので、
タキシードも似合うと思いますが。
by tateichi_m (2010-09-21 00:41) 

マイン

「ロックユアベイビー」、めちゃめちゃ聴いた事があります!!
こうやって映像で見ると、その時代独特の雰囲気が伝わって良いですね^^
今のブラックミュージックも好きですが、この時代の黒人音楽が一番カッコいい気がします。

そういえば最近、職場に来たお客さんが大橋歩さんのイラスト展に行かれていたらしく、携帯の待ち受けをパンフレットの写真にしていました。tateichi_mさんの記事で見たイラストだったので、もしや。。。と思ったのですが。。。^^☆
by マイン (2010-09-21 19:16) 

tateichi_m

マインさん、
'70年代~'80年代半ばくらいまで、ファンキー・ソウルがヒット・チャートの上位を占めていました。
以前紹介したアラベスクなど、ドイツのグループが出て来て、この曲で踊っていたのが竹の子族でした。

嬉しいですね。大橋歩さんのイラストを待ち受けにされていた方、50代男性でしょうか?
by tateichi_m (2010-09-21 20:13) 

マイン

竹の子族って、ファッションから日本のロックとかで踊ってるのかなと思ってたんですが、意外ですねww^^

お客さんは50代ぐらいの男性でしたね。少ししかお話できませんでしたが平凡パンチを読んでいた世代の方のようです。お洒落な男性でしたね^^

by マイン (2010-09-21 21:23) 

tateichi_m

マインさん、
やはり、平凡パンチの世代でしたか。ありがとうございます。

竹の子族が着ていた原宿のブティック竹の子のオーナーは、北海道苫小牧市出身の人だそうです。今もアパレル会社としてあるようですが。
この曲で踊っていた、竹の子族の人達も50歳近い年齢です。
ジンギスカンという旧西ドイツのグループの曲、ジンギスカンです。
この曲を聴いたら、北海道名物のジンギスカンを食べたくなりました。(爆)
ベリーズ工房のカバー・バージョンもありますよ。
http://www.youtube.com/watch?v=zhovUVweD_4&feature=related
by tateichi_m (2010-09-21 22:45) 

murayasu428

tateichiさん、こんばんは。
私が22歳のとき、毎週末に友達の家に集まりマージャンをしていました。つけっぱなしのテレビのソールトレイからご機嫌な曲がかかると、無性に踊りたくなりマージャンそっちのけで、名古屋栄のロジックに踊りに行きました。
ロック・ユア・ベイビーは名古屋、金山のキングスター(現在はカプセルホテルになっています。)でステップ踏んでました。キングスターに行きだした頃は社交ダンスタイムとディスコタイムの入れ替え(30分単位)で、ディスコタイムでは生バンドの演奏でした。生バンドのメンバーに一緒に行った友人のギターの弟子がいました。
by murayasu428 (2011-02-11 21:36) 

tateichi_m

murayasu428さん、
ロック・ユア・ベイビーやレディママレードなどがヒットした二十歳前後の頃が、私的にはディスコの全盛期でした。ディスコではないですが新宿にビッグ・トゥギャザーという店があって、フォー・トップスやコモドアーズなどアメリカのソウルグループが来日すると出演していました。
あと、当時コンパと云っていた円形カウンターがいくつかあるパブスナックが流行っていて、同世代のホステスさんとカウンター越しの会話を愉しんでいましたが、名古屋もありましたか?ボックス席にホステスが付いて、というスタイルではないのでカジュアルな雰囲気が若者に受けたようです。カウンターでマッチやストローの紙袋を使った遊びも流行りました。今はこういう若者文化がないので、現代の若者は可哀想な気がします。
by tateichi_m (2011-02-12 00:35) 

murayasu428

コンパと云っていた円形カウンターがいくつかあるパブスナックは名古屋には無かったと思います。でもマッチやストローの紙袋を使った遊びは流行りましたよ。私が30代前半の頃に松坂屋の寝具売り場で、シェリダンというベットリネンの販売をしていた頃、ネルトンパーティー(ミニ集団見合い)に後輩の引率で何回か妻に内緒で行ってました。
by murayasu428 (2011-02-12 01:31) 

tateichi_m

murayasu428さん、
コンパは東京だけだったようですね。私と友人達は彼女とディスコへ行って、帰りにコンパで飲んでいました。あの頃学生でよく飲むお金があったよなあと、友人と話すことがあります。(笑い)
ネルトンパーティーはテレビ番組にもありましたね。今度、中高年の合コンへ行ってみたいと思っています。婚期を逸したキャリアウーマンがいるそうなので。(笑い)
by tateichi_m (2011-02-12 01:51) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。