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最後の20セント [Disco Sund]

70's Disco Hits.jpg

赤坂にMUGENがオープンした2ヵ月後の1968年7月に六本木にオープンして、1980年代半ば迄あったディスコ「最後の20セント」も一世を風靡した店でしたので、MUGENと同様に懐かしく想い出される方も多いと思います。この店はオープンした頃に流行していたジュータン・バー形式で、店内は靴を脱いであがると真紅の絨毯が敷き詰められ、テーブルの下は掘りごたつになっていて生バンドで踊れるという珍しいスタイルの店でした。一般のディスコと比べると年齢層の幅が広かったので客層も落ち着いた雰囲気で、六本木というロケーションのお洒落な店でありながらリーズナブルなシステムと、ホテルのラウンジのように黒服の従業員のスマートな接客も好印象でした。

ディスコの正式名称はディスコティークですが、語源はフランス語の"discothèque"からきていたのですね。ディスコスタイルの店は第二次大戦後のパリにオープンした、"ラ・ディスコティーク"というクラブから定着したそうです。東京では六本木族やみゆき族の頃にエレキサウンドで踊るダンスホールが銀座や六本木にあったようですが、1965年にオープンした渋谷の"クレイジースポット"と新宿"ジ・アザー"が有名でしょうか。

1974年にディスコでヒットした、私が好きな曲をUPします。カール・ダグラスの「Kung Fu Fighting(吼えろ!ドラゴン)」は全英と全米のヒット・チャートで1位を記録して、世界中で400万枚以上をセールスした曲です。キャロル・ダグラスの「Doctor's Orders(恋の診断書)」は、全米ヒツト・チャート11位とディスコ・チャートで2位を記録した曲で、彼女の母親はゴスペル・シンガーのミニー・ニューサム、従兄弟には伝説のR&Bシンガーであるサム・クックがいます。


タグ:LAST 20 SENTS
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ナツパパ

わたしはディスコに行ったこと無いんですよねえ。
なにしろ練馬区の、また奥の方の学校だったもので。
友人たちに聞く愉しいナイトライフは憧れでしたっけ。
by ナツパパ (2011-01-24 08:11) 

musselwhite

こんにちは。

ディスコですか…何度か行く機会が有りましたが、どうも馴染めませんでした。
私にとって、異次元の世界と云う感じで、存在理由が判りませんでした。
ディスコではなくデスコです…(笑)
by musselwhite (2011-01-24 15:13) 

murayasu428

こんばんは、
懐かしいです。二曲とも私も大好きです。カール・ダグラスKung Fu Fightingは名古屋駅前の名鉄レジャツクビルのステージセブンでカンフーダンスしてました。栄の最後の20セントにもよくいきました(名古屋も他のディスコより少しおとなっぽい感じでした)。私が一番多く通ったのは栄のロジックとゆう店で名古屋では新曲を一番早く紹介してくれていたと思います。
by murayasu428 (2011-01-24 20:44) 

tateichi_m

ナツパパさん、
ディスコ黎明期の'70年前後に通った人達が多いですが、
比較的に慶應は赤坂や六本木、早稲田が新宿と、ディスコにも早慶戦がありました。(笑い)
現在40代半ばの早稲田出身の後輩によると、彼らの頃まであったそうです。
by tateichi_m (2011-01-24 21:41) 

tateichi_m

musselwhiteさん、
ディスコも流行に敏感な少年時代に経験する、ひとつの若者文化です。
悪い事以外は何事も経験豊富な方が、話題性に幅と奥行きがでますね。
by tateichi_m (2011-01-24 21:58) 

tateichi_m

murayasu428さん、今晩は。
当時の一部のディスコのDJは海外に出かけて、日本で発売されていない新譜をかけたりバンドの演奏で紹介していましたね。
アメリカン・トラッド・クラブの方々も若い頃からダンスがお好きだったようで、一度参加した六本木のオフ会では皆さん踊りまくりでした。
たいへん楽しかったので、早く東京へ帰りたいです。
murayasu428さんともお会いする機会がありましたら、共通する話題で盛り上がれそうですね。
by tateichi_m (2011-01-24 22:00) 

サントラ

館一さん

昔(多分このころと思います)私の住む北九州市の小倉に「最後の2ドル」というディスコがありました。
スミマセンこの2曲知りませんグループも(1曲目はどこかで聴いた様な・・・汗)74年と言えば22歳、一時期ちょっと洋楽を聴いてない時期があったりしたのでそのころの曲かと・・・?
by サントラ (2011-01-25 00:19) 

tateichi_m

サントラさん、
「最後の20セント」より、「最後の2ドル」の価値が好きです。(笑い)
この頃私は19歳から20歳で、ディスコへよく行っていました。Kung Fu FightingはテレビCMや映画にも使われていますので、耳にしたのだと思います。
by tateichi_m (2011-01-25 01:42) 

マイン

アフロヘアーと空手着は不思議と似合いますね^^☆
by マイン (2011-01-27 10:26) 

松田

帰らぬ少年兵、私16歳の時でした。レコード店へバイクで買いに走りました
ユーチューブ検索するもなくて,此処にたどり着きました。始めまして人生最終章に突入のリバイバルです。かなりマニアックですネ、舘一様のプログは宜しくお願い致します。
コリーン然りシルビーもそうですが前歯の開いてる女性は妙にセクシーです。日本人にはあまり居ません。そして何処を向いてるのか分からない瞳、イチコロでした。
by 松田 (2011-01-27 18:30) 

tateichi_m

マインさん、
ブルース・リーの映画が初上映された翌年の曲です。
イントロのホホホホ~の部分が、当時のキャラメルコーンのCMソングに似ていました。(笑い)
by tateichi_m (2011-01-27 20:44) 

tateichi_m

松田 様、
ご訪問とコメントをありがとうございます。宜しくお願い致します。
「帰らぬ少年兵」がユーチューブに一度アップされていたのですが、すぐに削除されました。私は小学6年のときに「恋する少年兵」のシングルを初めて聴いてから、今まで心に残っている大好きな曲です。この2曲がカップリングされたコンパクト盤を買ったのは中学3年の昭和44年でした。
by tateichi_m (2011-01-27 20:51) 

真@tokyo

懐かしい話 ありがとうございます。
1970年の結婚前後からこの店によくゆきましたので、古い方かもしれない。中2階で談笑中に踊りたい曲が掛かると梁に頭をぶつけながら慌てて下に降りてゆきました。同じような店で「緑の館」なんてのもあった。少し先に「ハンバーガーイン」、狸穴の「ウェスタンチャコ」(ステーキ)を覚えています。
by 真@tokyo (2019-04-21 14:10) 

ミックスナッツ

今はNGである18歳の時に今は亡き友人とそのクラブの先輩、同級生の女の子と合計4人でお邪魔しました。1979年でした。店名は忘れずに覚えています。それから40年が経ちましたが、ディスコは私の人生でその1回きりです。友人は先輩と一緒に踊っていましたが、自分はとても踊れる環境ではなく、おとなしい女の子と2人でコークハイを飲んで話をしていました。女の子とは何度か外でも会いました。先日40年近くぶりに電話で話をしました。甘酸っぱい思い出です。
by ミックスナッツ (2019-08-21 06:32) 

森洋一

1952年に当時霞町(現在の六本木六丁目)で生まれ、1980年
まで育った70歳のおじんです。当時自宅から徒歩5分のところに第一期ディスコ時代が到来し、「チーター」という店がありフィリッピン人の生バンドが演奏していました。高校1年次に友人が学校帰りに着替えをもって自宅に寄り、お袋が夕飯を用意、食後お袋が引率して
チーターの入り口で我々を店内に送り届け、終わることにまたお袋に迎えに来てもらいました。二十歳になり大学2年になると最後の20セントに入り浸るようになりました。なにせジュータンバーなので
眠くなれば一眠り出来ましたので。何度通ったことか、懐かしです。
by 森洋一 (2023-01-07 11:31) 

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