白い水平線 [G・S]
1967年6月15日にリリースされたTHE WILD ONE'Sのファースト・アルバムのジャケットは、以前も裏面のコブラの画像をUPしていましたが、中に綴じられているポートレートと表面の写真をズームしてみました。
VANショップ1号店だった銀座のテイジン・メンズショップで、私が中一の頃に当時IVYだったワイルド・ワンズのメンバーを見かけた事がありました。因みに当時21歳の植田芳暁は、ポルシェに乗っていました。
加山雄三が名付けた野生児という意味のワイルド・ワンズは、ネーミングとは違って貴公子然とした爽やかなイメージでしたので、ファン・クラブも広尾の東京女学館や六本木の東洋英和などのお嬢様系女子高生が多かったのです。
1981年に再結成したワイルド・ワンズが7月5日にリリースしたシングル、「白い水平線」のキャンペーンで、すすき野にあった平尾昌晃プロデュースの会員制ナイトクラブ、"サン・トレビアン"に出演した際に、当時札幌赴任していた私は友人とライヴに行ったのが7月末だったと思うのですが、当日は台風で大荒れの天候でしたが、ワイルド・ワンズは前日に札幌入りしていたそうでライヴは順延にならずに行われました。
ライヴ・ハウスが少なかった30数年前の事ですが、前年の5月には当時ヒットした「大阪で生まれた女」を歌っていたBOROが出演したり、専属バンドがもんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」を演奏していたのを鮮明に憶えています。
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