1960年代の東京 [昭和歌謡]
1960年に発売された菊池正夫の「スタコイ東京」は、テレビかラジオで聴いたのだと思うのですが、当時幼稚園児だった私の記憶に残るユニークな曲です。菊池正夫とは1966年に出した「骨まで愛して」が大ヒットした城卓也ですが、1964年にレコード会社を移籍した東芝盤のシングルでも「スタコイ東京」がB面に収められていました。
当時は東京と地方の格差が著しい時代でしたので、経済が豊かな東京に対する憧れと偏見が歌詞にも伺えます。私が三年前に札幌へ赴任していた時に近所の宗教団体のS学会の幹部の方から、"東京は人が住む所ではない!"と言われた事がありました。その方は仕事で埼玉に短い期間在住経験があるそうでしたが、私の返答は"あなたが大都会に馴染めなかっただけなのでは?半年近くも雪に埋もれる北海道は、人間が快適に住める環境なのでしょうか!?、よーく考えて発言した方が良いよ!"と。
「スタコイ東京」
ハア~俺(おら)が東京サ 来るときに
故郷(くに)のお母の言う事にゃ
東京ッて言うとぎゃスタコイとこだで
あっちぁさ行ったら 気をつけろ
「電車ッコサ 乗るにも ぼやぼや こいでで
ドアッコの あいだコサ はさまるな
故郷(くに)のお母の言う事にゃ
東京ッて言うとぎゃスタコイとこだで
あっちぁさ行ったら 気をつけろ
「電車ッコサ 乗るにも ぼやぼや こいでで
ドアッコの あいだコサ はさまるな
ドアコッがひとりで バシャンとくれば
骨こは ポキリで 体はペチャンコ
それだば おめえは パアダベサ」
せがれや せがれや わかったなぁ
ハア~俺(おら)が東京サ 来るときに
故郷(くに)のお母の言う事にゃ
東京ッて言うとぎゃスタコイとこだで
あっちぁさ行ったら 気をつけろ
「きれいな おなごは 沢山いるはんで
まなこさ すっくる かえして たまげるな
あんまり きょろきょろ やってれば
あにさま ちょっとちょっと こっちゃこうなんて
持ってるゼゼコは パアだべさ」
せがれや せがれや わかったなぁ
ハア~俺(おら)が東京サ 来るときに
故郷(くに)のお母の言う事にゃ
東京ッて言うとぎゃスタコイとこだで
あっちぁさ行ったら 気をつけろ
「スリも多いし 泥棒も多い
おまえみたいな 田舎者あ
骨こは ポキリで 体はペチャンコ
それだば おめえは パアダベサ」
せがれや せがれや わかったなぁ
ハア~俺(おら)が東京サ 来るときに
故郷(くに)のお母の言う事にゃ
東京ッて言うとぎゃスタコイとこだで
あっちぁさ行ったら 気をつけろ
「きれいな おなごは 沢山いるはんで
まなこさ すっくる かえして たまげるな
あんまり きょろきょろ やってれば
あにさま ちょっとちょっと こっちゃこうなんて
持ってるゼゼコは パアだべさ」
せがれや せがれや わかったなぁ
ハア~俺(おら)が東京サ 来るときに
故郷(くに)のお母の言う事にゃ
東京ッて言うとぎゃスタコイとこだで
あっちぁさ行ったら 気をつけろ
「スリも多いし 泥棒も多い
おまえみたいな 田舎者あ
えさコにゃ ちょうどエエ
ええとこ来たなと パックリ来れば
財布もパアー 着物もパー
それだばおめえは アッパッパー」
せがれや せがれや わかったなぁ
ええとこ来たなと パックリ来れば
財布もパアー 着物もパー
それだばおめえは アッパッパー」
せがれや せがれや わかったなぁ