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Saint Valentine's Day [昭和歌謡]

今日はバレンタイン・デーですが日曜日ですので、本命や義理を含めて先週末にチョコレートをたくさん頂いた人が多いことでしょう。"Saint Valentine’s Day"の発祥地はイタリアですが、女性から男性へチョコレートを贈るというのは日本だけですね。日本で初めて、「バレンタイン・デーにはチョコレートを」という広告を、1936年に英字新聞「ジャパン・アドバタイザー」に載せたのは、神戸に本社がある洋菓子メーカーのモロゾフでした。モロゾフのホーム・ページには、そのときの広告がちいさく紹介されています。http://www.morozoff.co.jp/quality/chocolate03.htmlその後、日本中に「バレンタインにはチョコを」という習慣が浸透するまでには、30年以上を費やしたそうです。

私が高校時代の1970年代初頭には、バレンタイン・デーが定着していましたが、私は中、高と男子校でしたので、他校や女子大生のガール・フレンドから、チョコではなくセーターやオーデコロンなどをもらった想い出があります。

以前、JUNのポスターをくれた、御茶ノ水女子大へ進学したガール・フレンドの事を書きましたが、彼女は大学卒業後まもなくお父さんが亡くなり、家庭の事情からある企業の御曹司と婚約することになって、私は戦国時代じゃあるまいし!と思いましたが、彼女のお母さんからは「T子はあなたのお話をよくしていましたので、いずれは?と思っておりましたが、このような事になりましたので、これからもよいお話し相手になってあげてください。」と云われて、大学生だった私は複雑な心境でした。

彼女とは私が中学3年のときに、旅先で知り合いました。当時高校2年だった彼女は、お父さんが経営する会社の旅行で来ていて、私が友人といたところ「カメラのシャッターを押していただけませんか」と、話しかけられたことがきっかけになり、私と友人も写真を写してもらい、その写真を送りたいので、ということで住所を教えて文通が始まったのでした。1960年代に日活の青春映画に数多く出演していた、女優の西尾三枝子さんによく似ていた彼女は、淡い恋心として想い出に残る人です。

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西尾三枝子さんです。こんな雰囲気でJUNの洋服が良く似合う、IVY SISTERでした。

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高原のお嬢さん』2曲とも、タイトルをクリックしてお聴きください。

西尾三枝子さんが出演した1965年12月公開の映画、「高原のお嬢さん」のテーマ曲と、昔、新橋のスナックで飲んでいた頃に、団塊世代の常連客と肩を組みあいながら歌った「学園広場」です。

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学園広場


僕は泣いちっち [昭和歌謡]

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1950年代後半から1960年代にかけてブレイクした守屋浩さんが好きで、懐メロの音楽番組に出演すると必ず録画をして観ます。4年ほど前から歩くときの右足に違和感があり、歌の間奏のときにする舌の動きに不自然さがあるので気になっていましたが、昨年のNHKBSで観た時には椅子に座って歌い、歩く姿を映していませんでした。昨年の名古屋でのコンサートへ行った人の話では、何年か前に病気をしましたと話されていたそうなので、後遺症が残っているのだと思います。昔から爽やかな印象で、71歳になられる現在も素敵な笑顔が若々しいので、いつまでもお元気で歌い続けて頂きたいです。
守屋浩さんの100曲入りCD、「青春ソング・コレクション」が今年の春にコロンビアから発売されて、守屋浩さんが静かなブームになっているようです。昭和34年に発売され大ヒットした『僕は泣いちっち』と、B面の「♪チイタカタッタ チイタカタッタ笛の音が」というユニークな歌詞と、おどろおどろしいイントロの『夜空の笛』は、当時幼かった私の記憶にも残っています。今改めて聴くと、歌詞の内容が姉と弟の悲しい生い立ちを歌われていたのです。守屋浩さんの元奥さんだった本間千代子さんも懐かしい女優ですが、本間千代子さんのおさんのご主人は、シンセサイザー・アーティストとして著名な冨田勲さんだったのですね
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ラブユー東京 [昭和歌謡]

10月は1960年代に活躍された芸能人の方々が亡くなられましたが、1967年に「ラブユー東京」が大ヒットしたロス・プリモスのヴォーカル、「森聖二さん」が10月18日永眠されました。たくさんの名曲を歌ってくださった「森聖二さん」へ、謹んで心よりご冥福をお祈り申し上げます。2006年6月に発売された、「フォーエバー東京」が最後の曲となりました。

私が好きな曲目です。

●「信濃川慕情」/「新潟ブルース」(1967年7月)●「雨の銀座」/「生命のブルース」(1967年11月)

●「たそがれの銀座」(1968年5月)●「城ヶ崎ブルース」(1968年8月)●「さようならは五つのひらがな」(1968年12月)

●「君からお行きよ」/「札幌の星の下で」(1969年4月)●「ぬれて横浜」(1979年6月)

●「いつまでも銀座」(1996年9月)●「魅せられてサッポロ」(1997年9月)●「小樽化粧」(1998年8月)

●「北緯四十度四十分」(1999年10月)●「名古屋ブルース」(2000年12月)●「北の雪虫」(2003年7月)

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ラブユー東京』1966年4月発売のデビュー・シングル。

先月亡くなられた加藤和彦さんが結成したザ・フォーク・クルセイダーズの、1967年12月25日にリリースされた『帰って来たヨッパライ』は、1968年1月18日付のオリコンチャートで第3位。発売からひと月後の1月25日には、オリコン・チャートがスタートした初回から、連続1位だったロス・プリモスの「ラブユー東京」と、2位のタイガースの「君だけに愛を」を抜いて、ヒットチャート1位になりました。2月26日付のチャートで伊東ゆかりさんの「恋のしずく」に抜かれるまでは、5週連続でヒットチャート1位を独占したというデーターがあります。

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君だけに愛を』1967年12月25日発売。1968年に公開された映画、「世界はボクらを待っている」からの映像です。

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恋のしずく』1968年1月20日発売。1968年10月10日発売の『朝のくちずけ』も名曲です。


サイケな夏を札幌で [昭和歌謡]

昭和58年の8月に発売された、高田みづえのそんなヒロシに騙されて」は、桑田佳祐が作詞・作曲した曲ですが、桑田の曲にはかなり'60年代を意識して作った曲があります。サザンの「パシフィック・ホテル」、桑田バンドの「ban ban ban」や「メリークリスマス・イン・サマー」のB面の「神様お願い」がそうです。「神様お願い」はテンプターズの昭和43年の曲でしたが、昭和61年にカラーとモノクロをコラージュして、'60年代のゴーゴー・クラブシーンを映像にしたTDKのCMに使われました。

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音源はこちら

昭和58年の夏にスナックのジューク・ボックスから流れていた、「そんなヒロシに騙されて」を初めて聴いたときは、モズライトのギターを使ったエイト・ビートのサウンドに懐かしさを覚えました。曲の歌詞に"サイケな夏を横須賀で"とありますが、これも'60年代に流行したサイケデリックですよね。 


タグ:高田みづえ
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