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casa bianca [CANZONE]

'70年前後に流行したフレンチ、イタリアン・ポップスを歌い、1968年~1972年にかけて数回来日していたヴィッキーをご存知の方が多いと思います。カーザ・ビアンカ(casa bianca)は複数のカンツォーネ歌手が歌っていますが、私が好きなのは「恋は鳩のように」が大ヒットした、マリーザ・サンニアでした。日本ではヴィッキーがリリースした日本語、英語盤がポピュラーのようですね。昨年亡くなられたマリーザ・サンニアのイタリー語ヴァージョンと、記事はこちらにUPしています。http://www.cafeblo.com/ivyscene1968/archive-20090924.html

casa bianca.jpg

音源はこちらです

ヴィッキーはギリシャのコルフ(Corfu)島出身の歌手で、本名はヴィッキー・ヴァシリキ・レアンドロス・パパサナシューという、一度では絶対に覚えられないような長い名前です。

イタリー語のタイトル、Casa(家)bianca(白)、「白い家」とは、二度と戻らない青春を意味しています。

 

決して忘れられない白い家

それは青春として胸の中に今も残る

ずっと昔、子供だった僕は苦悩に耐えられず

心の中で泣いた、そこへ入りたくなくて
 
僕のような子供はみな、何かの苦しみに慄きながら、

その正体がわからずにいるんだ

僕が手放したくないあの白い家は

二度と帰らない彼らの青春
 
僕のような子供はみな、何かの苦しみに慄きながら、

その正体がわからずにいるんだ

僕が決して手放す事のない白い家

胸の中に今も残るその家は

二度と帰らない僕の青春だった

帰らない…


タグ:ヴィッキー
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60's Avenue [CANZONE]

無駄な時間を費やす事を最も嫌う合理主義な私は、私生活でも3通りくらいの事を同時進行でやることが多く、毎日を健康で、豊かで、尚且つ美しくて、且つ創造的で、充実したものであるように、価値想像の日々を送るように努めていますが、人生を振り返ると目標の50%くらいしか達成していないかなぁと思う事が多々あります。還暦を迎えるまでの5年で、80%まで持ってゆこうと猛ダッシュです!

学生時代から考えていた事なのですが、私はイタリン・アートを学ぶ為にヴェネチアで数年暮らすつもりで、'84年に新宿住友ビルの朝日カルチャー・センターで、イタリア語を学んでいました。当時はNHKの外国語講座にイタリア語がまだ無くて、JAL国際線のチーフ・パーサーをやっていた友人からカセットなどの教材をもらい、併せて活用していました。

その友人は男性ですが英仏伊独語が堪能で、東京ー北京線の直行便航路が開設された頃に、北京語を3ヶ月でマスターしてC・Aの現地採用に携わっていました。彼らは外語をスピーディにマスターする技を持ち合わせているようです。一流企業では採用条件にTOEIC800点以上などが含まれ、ビジネス会話程度の英語力を求められますが、数ヶ国語を操る人には憧れというより尊敬の念を抱いてしまいます。

30歳にしてこの様な計画を立てていたのは、私は38歳まで結婚をしないつもりでいたのですが、結局のところは翌年の'85年の始めに予定外だった結婚が決まり、'86年の10月には息子が誕生してイタリア行きは断念しました。私の元妻もヴェネチアに留学経験があった人なので、この辺では共感するものがあり、夫婦生活が破綻しなければイタリアで暮らしていたのかもしれません。

Un_Anno_Damore_Mina_EP1.jpg私がカンツォーネを好む理由は別ですが、資料にある1965年のイタリアのLPの売上ランキングを見ると、「Studio Uno」というミーナの『砂に消えた涙』が収録されているアルバムが1位になっています。なんと2位と3位がビートルズ(The Beatles For Sale、The Beatles In Italy)で、4位がローリング・ストーンズ(Around And Around)でした。つまりミーナという歌手は当時のイタリアではビートルズ、ローリング・ストーンズを押さえる人気歌手だったのです。


当時はシルビー・バルタンやフランス・ギャルなど、フランス、イタリア系の女性歌手が『イエイエ娘』と称されて、日本ではレナウンのCMで有名ですが、この言葉(ye-ye girls)自体は日本生まれではなく、フランスから発信された'60年代半ばの流行語で、世界的なヒットを飛ばしていました。ミーナもその1人です。

フィリップス.jpg

1967年のレコード袋です。ザ・ウォーカー・ブラザース、デイブ・ディー・グループ、ジュリエット・グレコ、ミーナ、日本のG・Sなど、懐かしいアーティストです。拡大してご覧ください。

Un anno d'amore


タグ:ミーナ
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愛のフィナーレ [CANZONE]

1960年代の日本の音楽界に新風を吹き込んだ、インストル・メンタルなエレキ・サウンズ。ビートルズやローリング・ストーンズなどのリバプール・サウンズ、ジャンルは異なりますがジュリエット・グレコなどのシャンソン、日本のボサノヴァ黎明期のアストラッド・ジルベルト。なかでもカンツォーネは多大な影響を与えた音楽と云えるでしょうね。ミルバなどのカンツォーネ歌手も、本国イタリアより日本、ドイツでの人気の高さがうかがえます。

昨年の10月2日(木)、3(金)に渋谷のBunkamuraオーチャード・ホールで、ミルバのコンサートがあったのをすっかり忘れていました。2006年のコンサートはよく覚えているので、それは昨年の6月頃から不整脈で体調を悪くしていて、せっかくのコンサートに行けなかったからでしょう。

finale d' amore.jpg

ミルバが初来日したのは1964年で、1968年の来日記念に作られたのが、なかにし礼作詞/宮川泰作曲の「愛のフィナーレ」でした。この曲は1969年4月に公開された、北大路欣也・星由里子主演の東宝映画、「津軽絶唱」のサウンド・トラックとして使用されました。アンバランスのような気もしますが、津軽の雪景色にこの曲が流れるシーンを想うと、とてもロマンティックでマッチしているのかもしれません。


タグ:ミルバ
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秋の想い出 [CANZONE]

昨日と今日の札幌は、とても爽やかな秋晴れです。日中は上着なしで長袖のシャツで外出していますが、昨夜は近くのコンビニへ行くときに、コットンセーターを羽織らないと涼しすぎて、と言うか寒くて風邪をひきそうでした。寝具もタオルケット、肌掛け布団から、綿毛布と羽毛の掛布団に替えました。

これからの季節は「♪枯葉~よ~」ではありませんが、シャンソンやカンツォーネを聴きたくなりますが、テレビのコンサート情報によると「金子由香利」さんの札幌公演があるようです。四半世紀以上前に札幌赴任をしていた頃は、親しくしていたホテルマンの友人とシャンソンを聴ける店へ飲みに行っていましたが、彼らも現在は郷里に帰って結婚したり、一人はサイパンへ赴任してそのまま永住したりと、今は誰もいないので、若い頃は札幌でのプライベートが充実していたなぁ!と、昔が懐かしく想い出されます。

今日はカンツォーネの大御所である「ミルバ」と、「ジリオラ・チンクェッティ」の曲をUPします。ミルバは日本でいうと美空ひばりさんクラスの方で、現在もダイナミックにコンサート活動をされています。

milva.jpg

愛は限りなく.jpg

この曲は1960年代に、布施明や伊東ゆかりがカバーしていました。


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