美しい昔 [昭和のテレビ・ドラマ]
今年も5月のバラが満開の季節になりましたが、バラ園の模様は後日のUPになります。
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先週の金曜にスタートしたVANのSALEへ行ってきましたが、今回も目ぼしい商品はありませんでしたが何も買わないのも何なので、麻混のマドラス&reyn spooner風のBD&白地にペイズリー柄の地模様のBDにしました。
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1979年にNHKで放送されたドラマの、私が大好きな主題歌「美しい昔」。愚かな行為ばかりが目立つ中国は、1960年代に勃発したベトナム戦争で苦しんだ国を愛せよ!!
たとえば、愛 最終回 [昭和のテレビ・ドラマ]
「たとえば、愛」は1979年1月11日から4月5日迄、TBSのドラマ枠「木曜座」で夜10時から放送されていましたが、当時広告代理店に勤務していた私はこの時間帯に自宅でテレビを観るという事が殆どなかったので、何回か断片的に観ていた記憶がある程度でした。34年後に全篇を観た訳ですが1978年から79年当時はゆったりとした時代だったのだなぁ~と、ドラマの内容と共に改めてこの良き時代に感慨を憶えたのでした。
ドラマのBGMに流れていた荒木一郎の「君に捧げるほろ苦いブルース」は、1975年にリリースされて当時21歳だった私が好きだった楽曲でした。
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1977年から1978年に撮影されたと思われるドラマの男性俳優の衣装は、新宿のメンズショップが衣装提供されていたようですが、下の画像の"TROY BROS"は私が二十歳の頃に日本で発売されたUSAブランドでした。当時はグレイとネイビーのモヘアのVネックセーターとカーディガンに、白や赤のハイネックとポロシャツが主流で、USAサイズだったので私はMを着ていました。アイビーを卒業した女の子達は下に赤かベージュのロンタイに、MIHAMAのエナメル・パンプスを穿いていたのを憶えています。
たとえば、愛 12話 [昭和のテレビ・ドラマ]
「たとえば、愛」12話での「ミッドナイト・クール」の冒頭では、九条冬子が"今夜の赤坂にはちょっぴり春の匂いがします"と言っていましたが、学生時代にディスコを中心に遊んでいた赤坂の、一ツ木通りの当時の映像が懐かしいです。そして1979年の来日ミュージシャンは、ジャズ&クラシック・ピアニストの"キース・ジャレット"と米国のロックバンド"ボストン"で、スティーブン・ビショップの「水色の手帳」やリンダ・ロンシュタットの「ホワイト・リズム&ブルース」などの、楽曲紹介もとても懐かしく思います。
左の俳優の北浦昭義は、1960年代から活躍していた懐かしいお顔です。
たとえば、愛 [昭和のテレビ・ドラマ]
11月8日のブログに"HDDに録画していた「たとえば、愛」の第二回を過日やっと観ましたが、全13話迄あるので公私共に多忙な私は最終話まで観られるのはお正月になりそう"と書いたように、この正月休みに残りを数日に分けて全て観ました。今日はラスト迄の3話を残して、それ迄の画像をUPします。
一昨日は都心でも雪がちらつきましたが、ヒロインの九条冬子がD・Jを務める番組で時折云う、"今夜の赤坂は雪です"や"今夜の赤坂は星が降るようです"などの台詞も、深夜放送「ミッドナイト・クール」を盛り上げています。
そして冬子が小樽出身のせいか、テーマ曲である「とまどいトワイライト」が流れるOPに、北海道の映像と思われる雪景色が映し出されています。
第10話だったと思いますが番組内で紹介されていた曲は、ジョルジュ・ムスタキの「私の孤独」でした。
たとえば、愛 2013 [昭和のテレビ・ドラマ]
2010年5月25日のブログ「たとえば、愛」に書いた、1979年1月~4月まで放送された故大原麗子さん主演の人気ドラマ、「たとえば、愛」が26日(土)27日(日)にCSのTBS2チャンネルで、全13話が放送されたので録画をして今夜は第1話を懐かしく観ました。
テーマ曲は豊島たづみの「とまどいトワイライト」で、第1回目でDJの冬子(大原麗子)がかける曲は吉田拓郎の「祭りのあと」と、ドラマの中ではビリー・ジョエルの「ストレンジャー」や、かぐや姫の「神田川」他で、ドラマと共にゆったりとした時代だった当時を想い出しました。
これが青春だ [昭和のテレビ・ドラマ]
体育の日の三連休に入る週末11日金曜日午後二時に、VAN SALEへ行ってきました。約4ヶ月振りのセールでしたが、秋冬シーズン最初のせいか商品がいつもより少なめでした。
定番のグレイのトレーナーと、ワインレッドに白のパイピングのカーディガン。
私が好きな色でもあるワインレッドの、フルジップのトレーナー。裏起毛なのでこれからの季節は、素肌に直接着ると暖かいです。
以前から目を付けていた、茶系のロイヤルクレストのIVYベルト。
左の二枚はKentのポケットチーフ。チェックのハンカチは毎度お馴染みのノベルティですが、ハンカチは今回で三度目なので、次回は別の物にしてほしいですね!
6月のセールから定番の紙袋から、左のビニール製に変わりました。
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IVYブームの全盛期だった1965年の10月24日~1966年11月13日迄、日本テレビ系で毎週日曜日(20:00~20:56)に放送された夏木陽介主演の「青春とはなんだ」に次ぐ、竜雷太主演の学園ドラマ「これが青春だ」は東宝青春学園シリーズの第2弾で、1966年11月20日~1967年10月22日に放送されたとても懐かしい番組です。
さよならをするために [昭和のテレビ・ドラマ]
5月25日(水)から大通り公園で開催された恒例の「ライラック祭り」が、一昨日5月29日(日)で終わりました。風薫る5月も今日で終わりですが、梅に似た可憐な花を咲かせるサンザシは、英国では5月の花として"メイフラワー"というので、北海道のライラックやすずらんも"メイフラワー"ですね。
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「冬物語」が放送された頃に同じキャスティングで、浅丘ルリ子と石坂浩二が出演したドラマがあったなあ?と、ふと想い出したので検索してみたら1971年と'72年に日テレで放送されていた、「2丁目3番地」と「3丁目4番地」でした。検索をかければ遙か昔の事もスピーディーに調べられる、便利な時代になったものです。
「3丁目4番地」の主題歌として作られたビリー・バンバンの「さよならをするために」は、石坂浩二の作詞だったそうで、彼は随分若々しいのでこれも検索してみたら6月20日で70歳になるそう。しかも浅丘ルリ子と離婚直後の還暦に、21歳も若い女性と再婚をしたパワーは肖りたいものです。因みに私と同じ双子座生まれで、身長177cm、体重65kg。私は身長178cm、体重70kg。むむむ!
共に見し夢を [昭和のテレビ・ドラマ]
「風のようにフォークは流れ」でUPしたフォー・セインツの動画は、2006年にNHKのBS-2「BSまるごと日本のフォーク&ロック大全集」に33年ぶりにメンバーが集まったときの映像ですが、翌2007年の11月はデビュー40周年を迎えたことをきっかけに、六本木のライブ・ハウスでコンサートを開催し、2008年5月7日には新井満さんの作詞/作曲によるニュー・シングル、「この街で」をリリースして本格的に再結成をしています。
2010年1月20日にリリースされたミニアルバム「共に見し夢を~仰げば尊し~より」の、アルバム・タイトル曲はリーダーの上原徹さんが子供たちに遺したい曲の筆頭として、以前から思い入れのある「仰げば尊し」に、詞と曲の一部を加えて新しい曲として制作されたもので、他にも人生をテーマに上原徹さんの作詞/作曲による新曲が3曲収録されています。
フォー・セインツがレーベルを東芝から日本コロムビアに移籍して、グループ名がフォー・クローバースに変わった、1972年10月10日にリリースされたシングル「冬物語」は、1972年11月13日から1973年4月16日まで、日本テレビで放送された「冬物語」の主題歌でした。
風のガーデン [昭和のテレビ・ドラマ]
一昨年3月から11月まで帰京していたときに、普段はニュースか気に入った洋画くらいしかテレビ番組を観ることがない私が、欠かさずに観ていたドラマが10月9日から12月18日まで放送された「風のガーデン」でした。内容は癌で余命わずかな主人公の医師中井貴一が、東京から絶縁状態になっている北海道富良野市の家族の元に戻るまでを描いた倉本聰の作品で、放送開始直前の2008年10月5日に急逝した緒方拳さんが、中井貴一の父で富良野の訪問医の役をされた、緒方拳さんの遺作となったドラマでした。番組タイトルの題字は書を嗜んでいた、緒形さんの筆によるものだそうです。
テーマ曲と挿入歌の「ノクターン/カンパニュラの恋」を担当し、無名の歌手と中井貴一の恋人役をしていたのが、私が好きな26歳のシンガー・ソングライター平原綾香でした。一昨日書いたBAR"N43"で、このような人と一緒に夜景を見たいものですねぇ。そして"ちざきバラ園"の跡地に完成した、"ローズガーデン クライスト教会"で挙式をしても・・・。
海辺の恋 [昭和のテレビ・ドラマ]
2006年9月にリリースされた小椋佳さんの35th Anniversaryスペシャル・ベスト・アルバム、「自分史」に収録されている「海辺の恋」は、小説家で詩人の佐藤春夫さんの詩に小椋佳さんが曲をつけて歌った楽曲で、1974年に放送されたNHK銀河テレビ小説「黄色い涙」の挿入歌でした。
「海辺の恋」
こぼれ松葉をかきあつめ
おとめのごとき君なりき、
こぼれ松葉に火をはなち
わらべのごときわれなりき
わらべとおとめよりそひ(イ)ぬ
ただたまゆらの火をかこみ、
うれしくふたり手をとりぬ
かひ(イ)なきことをただ夢み、
入り日のなかに立つけぶ(ム)り
ありやなしやとただほのか、
海辺の恋のはかなさは
こぼれ松葉の火なりけむ(ン)
「ゆきどまりの海」←タイトルをクリックしてお聴きください。
「ゆきどまりの海」は1976年10月7日にNHKホールで行われた初コンサートで歌われた楽曲で、1975年に布施明さんが歌ってヒットしています。
小椋佳~自分史ベスト35 35th Anniversaryスペシャル・ベスト・アルバム
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: ユニバーサルJ
- 発売日: 2006/09/04
- メディア: CD
鬼平犯科帳 [昭和のテレビ・ドラマ]
銀座の和菓子店「宗家 源 吉兆庵」の季節の銘菓、干し柿に白餡を詰めて羊羹で包んだ、"粋甘粛(すいかんしゅく)"の広告写真です。
池波正太郎の時代劇小説を元に21年前にテレビ放映された、中村吉右衛門の「鬼平犯科帳」が好きでかかさずに観ていましたが、ユーモアがたっぷりの"oira"さんのブログに、「鬼平犯科帳」の鬼平こと、長谷川平蔵と密偵達が酒を飲むシーンのセリフが書かれていて、忘れていたこの時代劇を懐かしく想い出していたところ、偶然にも18日19日と二夜連続でフジテレビ系列のUHBで、シリーズ最新作と1995年に上映された劇場版が放送されたので録画しました。「鬼平犯科帳」のエンディングに流れるジプシー・キングスの「インスピレイション」は、こちらもユーモア・センスのある"マイン"さんのブログで懐かしく聴きましたが、この曲と共に映る四季折々の風景、桜、紫陽花、あさがお、花火、紅葉、江戸の街に降る雪景色の映像が美しいです。
新橋演舞場で毎年行われている「5月大歌舞伎」の演目に、2006、2007、2009年と中村吉右衛門の「鬼平犯科帳」の舞台もありました。
たとえば愛 [昭和のテレビ・ドラマ]
脚本家の倉本聰が1984年に北海道富良野に設立した、富良野塾が残念ながら今年4月4日で閉塾しました。倉本聰の作品に「北の国から」や「風のガーデン」など、心に残るドラマが数多くありますが、なかでも1979年1月~4月までTBSで放送されたドラマ、「たとえば愛」は特に印象に残る名作でした。1979年というと私は入社二年目の頃で、毎日深夜まで仕事に忙殺されていたので、テレビを観る時間はあまりなかったのですが、先日シュガーさんの「シュガータウン日記」に書かれていた、「たとえば愛」と、豊島たづみが歌った主題歌「とまどいトワイライト」を拝見して、忘れかけていたこのドラマとテーマ曲を懐かしく想い出すことができました。ありがとうございます。
阿木耀子:作詞、宇崎竜童:作曲によるこのレコードを持っていたのですが、You Tubeで聴いてみたところ、ドラマの動画がかなりアップロードされているのに驚きました。誰しも心に残る想い出の音楽や映画がありますので、想い出のドラマとして「たとえば愛」が心に残る人がこんなにいらっしゃるのですね。
大原麗子が演じる深夜放送の人気DJ九条冬子は、元放送作家の工藤六助(原田芳雄)と離婚をした一年後に、広告代理店勤務の高井五郎(津川雅彦)と再婚をしますが・・・・・。ストーリーはこの三人の奇妙な関係と、それをとりまく人たちとの人間模様が描かれています。大原麗子の私生活もこのドラマのように、元電通マンの渡瀬恒彦と離婚後に再婚した森進一と、二人の男性が織り成す人生だったのではないかと思います。
鮫島宗哉さんが人気DJをされていた36年前の、HBC釧路放送局の深夜放送「釧路 ないと.ナイト.Night」を以前書きましたが、このCDを再度聴いて感じるのはひとつの番組構成を、ディレクションする仕事もやりがいがあって楽しいでしょうね。私も放送局に就職をするとよかったかなぁ~!なんて思います。
思春期の中高生を中心としたリスナーから届く手紙や葉書のなかには、紅茶のティーバッグや胃薬入りというユニークなものもありますが、学校や受験、恋愛の悩みなど、近況とリクエスト曲が書かれたお便りを読んで、鮫島さんは的確なアドバイスをされていました。ある男子中学生の片思いの悩みが書かれた葉書には、"片思いをしているときの方が自分自身が鍛えられる"、"人間が成長する"というようなお答えをされています。60分番組の放送のなかにDJとリスナーをつなぐ、ひとつのドラマがあるように思います。
当時この番組を聴いていた人達は現在50歳前後になっていますので、もしもこのブログを読んで頂けたなら、鮫島宗哉さんのお名前から当時を懐かしく想い出してくれると思います。当時26歳から27歳だった鮫島さんは、この番組を成功させて東京へ戻られ、広告代理店の博報堂に転職されましたが、1973年から1974年にON・AIRされた「釧路 ないと.ナイト.Night」の最終回の日も、感動的な60分だったことでしょうね。
太陽野郎 [昭和のテレビ・ドラマ]
中学受験をクリアして、多感な少年時代をエンジョイしていたあの頃、1967年11月18日~1968年4月20日迄、日本テレビ(当時NTV)で毎週土曜の夜8時に放送されていた、「太陽野郎」という番組が好きでした。主演は夏木陽介でしたが学園ものではなく、フランスで牧畜業を学んだ男が、持ち前のバイタリティで、牛の飼育と牧場の再建を成し遂げるという内容のドラマです。ドラマのテーマ曲だった「寺内タケシ&バニーズ」の「太陽野郎」と、当時人気があったナショナルのFMラジオ、「ワールド・ボーイ」のCMソングでもある「ワールド・ボーイ」をUPします。「ワールド・ボーイ」の歌詞は、日本男児の理想像として現代の草食系男子に贈りたい言葉です。(笑い)
『太陽野郎』 『ワールド・ボーイ』タイトルをクリックしてお聴きください。
美しい昔 [昭和のテレビ・ドラマ]
1960年代に「虹と共に消えた恋」などの反戦歌を歌って、日本にもフォーク・ソングの大ブームを巻き起こしたアメリカのフォーク・グループ、『ピーター、ポール&マリー』のマリー・トラヴァースさんが今月16日に亡くなった事を今日知りました。ご冥福をお祈り申し上げます。「P、P&M」の記事と音源はこちらにUPしました。http://www.cafeblo.com/ivyscene1968/archive-20090919.html
『Diem Xua』
1979年に放映されたNHKドラマ・人間模様の、「サイゴンから来た妻と娘」の挿入歌として使用された、『美しい昔』は、ベトナムの反戦歌手であるカーン・リー(Khanh Ly)の「雨に消えたあなた」(原題は「Diem Xua」)のカバー曲でした。
1970年にベトナム戦争で夫を殺されたカーン・リーは、故郷である町ユエからサイゴンに落ちのび、大阪万博に出演して日本語盤の「雨に消えたあなた」をリリース。その後この歌は、NHK ドラマ「サイゴンから来た妻と娘」の主題曲となって、『美しい昔』に改題して、1979年12月に再リリースされた楽曲でした。他に、菅原やすのり(1984年)、加藤登紀子(1997年)がカバーして、2003年には天童よしみがカバーしてヒットし、この曲で紅白歌合戦にも出場しています。
結びの文章として、世界から、というか地球上から戦争と悲惨、貧困を無くしたいものです。
私だけの十字架 [昭和のテレビ・ドラマ]
今週末からシルバー・ウィークに入る人が多いと思いますが、さてこの5連休をどう過ごしましょうか?広大な北海道は行きたいと思うところが沢山ありますので、秋晴れに恵まれると嬉しいです!
1977年から10年間続いたテレビ朝日の高視聴率番組、「特捜最前線」のエンディング・テーマに使われていたF・チリアーノ(Fausto Cigliano)の『私だけの十字架』という曲が好きでした。この頃は広告代理店の制作に就職して間もない頃で、広告業界は”生き馬の目を抜く”ような過当競争の世界ですので、平日のゴールデン・タイムにテレビを観る時間などはなかったのですが、何故かこの曲が耳に残りレコードを買ったのでした。
『私だけの十字架』作詞:尾中美千絵/作曲:木下忠司/編曲:青木望。作曲の木下忠司さんは、「水戸黄門」のテーマ曲を作曲した方です。
ファウスト・チリアーノはイタリア・ナポリ出身のカンツォーネ歌手、俳優で、ナポリの音楽大学の講師でもありました。1959年のナポリ音楽祭でテディ・レノの「Sarrà who knows?」を歌って優勝。また、1959年~1964年にはサンレモ音楽祭にも出場しましたが、惜しくも選外となっています。1966年にはカンツォーネ歌手として来日した事があって、『私だけの十字架』以前の1974年~75年にテレ朝で放映された、山口百恵主演のドラマ「赤い迷路」では、挿入歌の『去り行く今』を歌っていました。
F・チリアーノと声が似ているせいか、クロード・チアリと間違えて覚えている人もいるようですが、クロード・チアリはフランス出身です。
1964年にベルギーのギタリスト、ジョー・ヴァン・ウェッターが作曲したギター曲です。フランスではシャンソンとしても歌われましたが、日本ではクロード・チアリのギターで、1965年に公開されたギリシャ映画『夜霧のしのび逢い』のテーマ曲として使われ、サウンド・トラックの名曲になっています。この曲は当時から好きでした。って、どういう小学5年生だったのでしょうねぇ~?(爆)年齢詐称疑惑があるのは、古い事をもっともらしく書くせいでしょうか!
『夜霧のしのび逢い』