悲しき街角 [1960年代の邦楽]
画像は札幌駅JRタワーです。2010年のゴールデン・ウィークも終わり、札幌駅や新千歳空港、3月末にオープンした国際線ターミナル・ビルも混雑していたようです。
ポール・アンカや二ール・セダカなどのアメリカン・ポップスが主流だった1960年代始め、中尾ミエの「可愛いベイビー」、弘田三枝子の「ヴァケーション」、坂本九「ステキなタイミング」、田代みどり「パイナップル・プリンセス」などの、訳詞や作詞を担当した漣健児さんの楽曲が大ヒットして、カヴァーポップスの流行を手掛けた元祖的な存在となりました。
他には森山良子の「恋はみずいろ」、イタリアの歌手ミーナの「砂に消えた涙」、「離別」の日本語ヴァージョンや、G・Sではカーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」、ジャガーズの「ダンシング・ロンリー・ナイト」の歌詞も漣健児さんによるもので、日本のポップス歌謡に珠玉の作品を残されています。'60年代の洋楽ファンなら誰もが読んでいたと思われる、「ミュージック・ライフ」誌の初代編集長は漣健児さんでした。「ミュージック・ライフ」を出版していた新興楽譜出版社(現シンコーミュージック・エンタテインメント)は漣さんの父親が経営していた会社で、漣さんは2005年6月6日に74歳でお亡くなりになるまで同社の代表取締役会長を務めていました。
「悲しき街角」←クリックしてお聴きください。
1961年に歌手デビューをした飯田久彦さんの「悲しき街角」、「ルイジアナ・ママ」も漣健児さんによる作品で大ヒットしましたが、飯田久彦さんはテイチク・エンタテインメント代表取締役会長を経て、現在はエイベックス・エンタテインメント、エイベックス・グループ・ホールディングス取締役に就任されています。
映像は10年ほど前のようですが、今年69歳になられる飯田久彦さんは外見同様に、マインドも若々しくてエヴァー・グリーンなイメージの万年青年ですね。
「悲しき街角」良い曲ですね(^^)
今のアーティストにもこんな曲をカバーしてほしいです。
by マイン (2010-05-06 09:05)
マインさん、
この曲はデル・シャノンの元歌も良いですよ。
'60年代に音楽をやっていた人が、
最近のアーティストのプロデュースに関わっているので、
そのうち出てくるかもしれませんね。
by tateichi_m (2010-05-06 17:36)
あっ、このCD良いですね。
全部知った曲で、きっと全部歌えるはずです。
買いに行かなくちゃ!
by ナツパパ (2010-05-06 17:51)
ナツパパさん、
ハイ、行ってらっしゃ~い!
私は2曲しか歌えませ~ん!(笑い)
この頃って、悲しき○○の歌が多いですね。
by tateichi_m (2010-05-06 21:22)
tateichi_mさん、みなさん、こんばんは!
tateichi_mさん、日本のオールディズには漣さんですよね!
英語で歌えなくても、あの娘はルイジアナ・ママ、やってきたのはで盛り上がれるのが嬉しいです!
by MR・H (2010-05-07 00:53)
MR・Hさん、今晩は。
一度廃刊になっていた「ミュージック・ライフ」を漣健児さんが復刊したので、'60年代の星加ルミ子さんが編集長時代のものを見ることができたのですね。
カーナビーツの、「オーケイ/クレイジー・ラブ」の作詞は星加さんですね。
あらためて、漣さんの偉大さを感じました。星加さんは北海道生まれで、今年70歳になるそうですがお若いですね。
by tateichi_m (2010-05-07 01:36)
「砂に消えた涙」
いい曲で、よく聞きました・・・
by miopapa (2010-05-07 11:04)
miopapaさん、
弘田三枝子、ザ・ピーナツなどがカヴァーして、
ザ・ヒット・パレードなどのテレビでよく歌っていましたね。
by tateichi_m (2010-05-07 17:42)