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田中一光 [Commercial Art]

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"この大きな山はつねに柔らかく、

いまなおふだんに成長しつづける山なのだ"

田中一光のような存在について、言葉をもって直接的に語ることは難しい。というより不可能に近い。しかたがない。比喩という間接的方法を奥の手として使うことにしよう。

私が田中を考えるとき、かならず連想するイメージがある。それは山だ。大きな山だが、けっして人間を拒む嶮しい山ではない。あくまでも優しく、なだらかで、登る人を受け容れる登り口をいくつも持っている山だ。

それらの登り口を便宣的にロゴタイプ、ポスター、カレンダー、ブック・デザイン、グラフィック・アート、あるいはトータル・イメージ・メーキング・・・・・・などと呼んでみてもいいだろう。
(1993年4月 詩人:高橋睦郎 評論より)

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私が若い頃から最も尊敬する日本を代表するグラフィック・デザイナーの一人、"田中一光"さんが他界される数年前に、以前ご紹介した中野の料理屋「陸蒸気」で、会食に同席させて頂いた事がありましたが、その際に一光さんが用意してくださっていたサイン入りの著書を頂きました。何よりも大切にしている私のお宝ですが、今思うとご一緒に写真を撮らせて頂いていればと後悔しています。当時はカメラ付き携帯やデジタルカメラも無いので、今のようにやたらと写真を写すこともありませんでした。

田中一光さんが2002年1月10日夜に青山の自宅付近の路上で倒れて、虚血性心不全のため都内の病院で急逝されたと聞いたときは大変ショックをうけました。享年71歳というまだまだお若い年齢でしたので、お元気でご活躍されていたら・・・と残念に思います。若い頃から目をかけて頂いた恩人や、今年1月に亡くなった菊池浩一さんのような友人が急逝されたりすると、両親を亡くしたときと同じ思いでしばらく傷心の日々が続いたものです。

略歴
1950年 京都市立美術専門学校(現:京都市立芸術大学)
           鐘淵紡績入社
1952年 産経新聞社入社 桑沢デザイン塾講師
1953年 日宣美会員となる
1957年 株式会社ライトパブリシティ入社
1959年 日宣美展会員賞
1960年 日本デザインセンター創立に参加 東京A.D.C金賞
1963年 独立し田中一光デザイン室主宰
1967年 A.G.I 国際グラフィック連盟会員となる
1968年 日本万国博覧会政府館1号館、展示設計責任者に任命される
1975年 西武流通グループ(セゾングループ)のクリエイティブディレクターに就任
1980年 芸術選奨文部大臣賞新人賞、西武の無印良品のアートディレクターに就任
1986年 銀座セゾン劇場のアートディレクターに就任
1986年 ニューヨークA.D.C金賞
1991年 日本文化デザイン大賞
1994年 ニューヨークA.D.C殿堂入り、紫綬褒章受章
1998年 東京A.D.Cグランプリ、1997年度朝日賞
2000年 文化功労者表彰

ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ銀賞
毎日デザイン賞
ニューヨークA.D.C金賞
東京A.D.C会員最高賞
毎日芸術賞
T.D.C会員金賞
第一回亀倉賞
織部賞
朝日賞

主な仕事
1954年~1993年 産経観世能
1964年 タバコ「ロングピース」/パッケージデザイン
1964年 東京オリンピック/入賞メダル、施設シンボルデザイン
1970年 札幌冬季オリンピック/入賞メダル、参加招待状デザイン
1968年-1970年 日本万国博覧会政府館1号館、展示設計
1973年 日本の選択:毎日新聞社
1975年-1986年 西武美術館アートディレクション
1978年 なんばCITY/プロデュース
1979年 イッセイ・ミヤケ/ブランドマーク
1980年 ジャパン・スタイル展
1980年 無印良品/トータルデザイン
1984年 IBC岩手放送/CI
1985年 国際科学技術博覧会(つくば万博)/シンボルマーク
1986年 ギンザグラフィックギャラリー/シンボルマーク
1987年 ロフト/シンボルマーク
1987年 田中一光 デザインのクロスロード展
1989年 海遊館/シンボルロゴ
        ホテル・イル・パラッツィオ/ビジュアル・トータルデザイン
1990年 ギャラリー・間
1991年 大阪大学/校章デザイン
1992年 「東京フロンティア」国際シンボルマーク コンペ第一位
      新東京国際空港第二旅客ターミナルビル/壁画デザイン
1993年 STOP AIDS
1995年 ベニス・ビエンナーレ日本館
          写楽二百年
1990年・1992年・2000年 三宅一生展
1997年 レストラン・マッカリーナ(北海道真狩村)
1998年 サルヴァトーレ・フェラガモ展/グラフィックデザイン
2000年 拓殖大学/VI
1995年-2002年 大阪新聞/題字
奈良テレビ放送/CI(制作年度不明)、他多数。

個展
西武美術館、奈良県立美術館、富山県立近代美術館、東京国立近代美術館フィルムセンター、
N.Yクーパーユニオン美術大学、L.A日米文化会館、パリ装飾美術館所属広告美術館、
メキシコ現代美術文化センター、ミラノ市現代美術館、サンパウロ現代美術館、
ベルリン バウハウス・アーカイブ・ミュージアム、他。

著書
「田中一光のデザイン」、「デザインの周辺」、「田中一光デザインの世界」、「デザインの仕事机から」、「デザインの前後左右」、「田中一光自伝 われらデザインの時代」、など。

田中一光さんはクラシックがお好きでしたので、表参道の善光寺で営まれた葬儀にもクラシックが流れていました。今年はショパン生誕200年のメモリアル・イヤーですので、私がもっとも好きな曲「幻想即興曲」です。

 

田中一光 gggBooks 世界のグラフィックデザインシリ-ス゛5

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  • 作者: 田中 一光
  • 出版社/メーカー: ギンザ・グラフィック・ギャラリー
  • 発売日: 1993/04
  • メディア: 単行本

田中一光自伝 われらデザインの時代

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  • 作者: 田中 一光
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 単行本

タグ:田中一光
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コメント 6

ナツパパ

わたしたちは一人では成長できないのだと思います。
本で学ぶより、優れた方との出会いが、より上の世界に導いてくれた...
わたしは自分の今までを振り返って、そう思います。
by ナツパパ (2010-12-16 08:45) 

miopapa

田中一光さんの
「われらデザインの時代」
私も読みました・・・


by miopapa (2010-12-16 18:50) 

tateichi_m

ナツパパさん、
良い人脈は自然と作られるものなので、
縁がある人達に感謝ですね。
異業種の方々との交流も大切にしています。
by tateichi_m (2010-12-16 21:24) 

tateichi_m

miopapaさん、
古都奈良で育った多感な少年期に身に付いた感性を描かれた、
能などの和の作品が特に好きです。
田中一光さんは業界人だけではなくて、
絵画や商業美術がお好きな人達にも人気がありますね。
個展に行った感想を書かれているブログが、
老若男女問わずたくさんあります。
by tateichi_m (2010-12-16 21:35) 

マイン

うわあ。。。なんだかお写真の雰囲気から、気になって仕方がありません^^;
本、見つけたら必ず読んでみようと思います☆
by マイン (2010-12-18 23:20) 

tateichi_m

マインさん、
田中一光さんはほんとうに大きな山のように、全てにおいて素晴らしい方でしたので、男の顔は人生の履歴書と言うように、人格がお顔にも如実に表れていると思いますね。
田中さんの葬儀は香典を一切受け付けず、顕花もご遠慮くださいというものでした。
送ってこられた花の前には、頂いた方々のお名前が書かれた木札が丁寧に置かれていました。私も人生最後の式典は、こうありたいと思います。
by tateichi_m (2010-12-18 23:53) 

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