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日本(人)の道徳心 [人生観]

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東日本巨大地震から10日が経過しますが、物資が届くのが遅れていて大変困窮した避難所生活をされている被災地の皆様と、計画停電で不便な生活を余儀なくされている皆様へ、あらためてお見舞いを申し上げます。海外メディアが震災で大きな被害を受けた被災地と東京へ取材に入り、大震災での日本(人)の対応などを各国で報道された内容がネットでも紹介されていますので、私が見た一部を掲載します。

● 泣き叫ぶ声もヒステリーも怒りもない。日本人は黙って威厳を持ち、なすべき事をしている。
● 日本国民は当座の食べ物飲み物に困る生き地獄のような状況でも、誰かのせいにしたり恨んだりすることなく秩序ある市民意識を見せ、地震に驚いた世界を今一度驚かせている。
● 自然災害や戦争といった災害が起きるとどこの国でもさまざまな不条理や、犯罪などが頻発するが日本ではこのような現象はみられない。
● 地震後の東京は異様な雰囲気で、通りにいる人々はとても静かだった。東京のインフラは災害のために良く準備されており、またこのような苦難の中でも人々は信じられないほどマナーが良く礼儀正しく助け合っていた。
● 大地震の発生後、他の国に見られるような混乱は少しも起こらなかった。危険のなかでも日本国民は法を厳守し秩序を守り、その民度の高さは火を見るより明らかだ。
● 最悪の災難を前にして忍耐心と冷静さを失わない、日本人の姿は我々を驚嘆させる。
● 落ち着いて秩序を守る日本国民の強靭さは鮮明。
● 日本の市民意識は、人類の精神が進化するという事実を見せてくれた。

ニューヨーク・タイムズは「Sympathy for Japan, and Admiration」(日本に対する同情と賞賛)というタイトルで、地震という危機に対処する日本人の辛抱強さ、克己力の高さ、そして秩序の正しさを賞賛し、「But the Japanese people themselves were truly noble in their perseverance and stoicism and orderliness.」と、1995年1月に発生した阪神淡路大震災の取材経験がある、同紙の元東京支局長がオピニオンのコーナーに書いていました。

紹介されている海外メディアの感想は多くの日本人が自然に行っている事を、ある意味絶賛されているのは誇って良いことかもしれないけれど、某氏のブログにある被災地からのメールには、コンビニ強奪やガソリン泥棒、被災宅泥棒などが現れていて、被災地の人はこの現実を悲しい思いでみているそうです。某氏は「買占めや被害をかたるオレオレ詐欺を見ていると、日本人がそんなに褒められたものかと言いたくなる。」とも書かれています。一部の心無い人間のせいで、善人が苦しめられるのは世の常ですが、悪が自然淘汰されてゆくのも世の常です。

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全てを失った終戦から10年余りで、目覚しい復興を成し遂げた日本。もはや戦後ではないといわれた昭和30年代は、海外からも"美しい心の国"と称賛されていました。当時の丸の内、銀座、日比谷、霞ヶ関、そして浅草の映像に、なんて穏やかな時代だったのだろうと感慨一入です。


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oira

1968年、日米安保で騒然となる前の東京。タイガースの歌も、当時はさほどではありませんでしたが、この大災害時にに優しく見え聞こえますね。

 先ほど、民放で、互助の姿と被災したビール工場から「ボランティア」と自分を偽って、ビール等を、柵を乗り越えて盗んでいる人々が披露されていました。マスコミにも良心のあるなし、政治家にも見識のあるなしを考えると、
まあそんな輩もいるのは分かる気がしました。
 
 でも、世界の驚嘆まなざしの「こころつなぐ日本人」は着実に増えていますね。
悪が淘汰されていく世の中にこれまでも、これからも進化していきますね。

 そして、世界で一番! 温かく穏やかな国になりますね。


by oira (2011-03-21 17:24) 

tateichi_m

oiraさん、
札幌市も市営住宅に被災者の移住が始まっていますね。
ひと月から3ヶ月の期限があるそうですが、光熱費と生活費は被災者の自己負担なので義捐金などから早急な援助が必要ですね。
今日の道新で札幌のホームレスを支援するNPO法人の代表、東京出身で札幌へ移住した69歳の女性がアパートを1棟借り上げて生活の援助から就職して自立するまでの面倒を見ている記事を読みました。
行政が年末年始に行う一時的な保護よりも、長期的な居場所を確保して、自立を促す施設こそが必要と考えた行動から、自立支援事業所のベトサダから自立の旅立ちをしたたくさんの人達がいるそうです。そして出て行くときに「失敗したら帰ってきなさい」と言葉を添えて。頭が下がります。

音楽はそのときのシチュエーションで、感じ方が変わりますね。10代の頃にヒットして好きだった曲も、聴く側が大人になっていますので、時を経ても成長が無いそのアーティストの軽薄さが見えてくると今じゃ鳥肌が立つほどの嫌悪感になります。
by tateichi_m (2011-03-21 21:46) 

ハゲアメリカーノ

今晩は!
昨日NHK教育で写真家井上孝治の世界の特集をやっていました。昭和30年代の街と暮らしが優しい視線で表現されていました。昭和を思い出して復興ですね。

by ハゲアメリカーノ (2011-03-21 22:01) 

tateichi_m

アメリカーノさん、今晩は。
見たかったのですが、会合で近郊の市へ行っていました。
幼少から聾唖の障害を持つ、井上孝治も見る者の心を動かす天才的な写真家でしたね。
昭和30年代は地域全体が家族のように、
他人の子供も我が子のように叱ったり可愛がったりの交流がありましたね。
モンスターペアレントなどの異人種なんか存在しませんし。(笑い)
by tateichi_m (2011-03-22 00:02) 

鮫島宗哉

館一さん

鮫島宗哉です。私の音声付ブログへのコメント
ありがとうございました。
2005年の3月20日に福岡も震度6強の地震にあったのでした。今考えると、もし津波があったら、どんなことになっていたかと身の毛がよだちます。
札幌もゆれたのですね。

震災を機に、震災前、震災後という、言い方が生まれるのではと感じます。これまでの「日常」がすべて変わる切れ目。
「新しい日常」を創造的に作りましょう。


by 鮫島宗哉 (2011-03-22 00:07) 

tateichi_m

鮫島宗哉さん、
津波がなくて幸いでしたね。福岡へ現在も赴任中の友人の息子の所も、
家具や食器などが倒れて大変だったそうです。あれから6年になるのですね。

鮫島さんの膨大な数のレコードやテープなども、無事で良かったですね。
私もそうですが、古い想い出のものはお金では買い戻す事が出来ませんので。

破壊から建設ですね。取材陣が被災地の子供たちに今欲しいものは何?と聞いたところ、小学校低学年の女の子がお家と答えると、もう一人の女の子は命が助かったから何もいらないでしょうと言っていました。
幼いながら震災による命の危険から、価値観を学んだのですね。
by tateichi_m (2011-03-22 03:13) 

mwainfo

ご無事でご活躍のこととお見受けいたします。皆様方のご健闘をお祈りいたします。
by mwainfo (2011-03-22 12:01) 

松田

<心つないで >ですか。まさしく日本ですネ。路地に舞い落ちる花びらとサクラの枝のシルエット。美しい!日向と影どちらも日本のものです。モンスターペアレント!なんですかソレ。何代も前から住んでる日本人はそんな馬鹿しません。
幼稚園から行き直したら!って方、増えてきましたね。センセもセンセだけど何処か狂っちゃいましたね。それでもネ僕等IVY世代は昔から有る日本の素晴らしい文化を伝えていきましょうよ。この時期だからこそ試される気がする。
バカボン(バーボン)注入でテンション上がってしまいました。
by 松田 (2011-03-22 19:33) 

tateichi_m

mwainfoさん、
東京も余震や計画停電などで都市機能が止まっていますが、
お元気そうで何よりと思います。
大手広告代理店では、社員に自宅待機の処置がなされていました。
いざという時に人間の度量が発揮されますが、今回の管総理の指揮はお粗末さが如実に出ています。
報道番組のサブ画面に手話通訳が映されていることや、他の一部のオペレーションも某野党の指示で行われています。
by tateichi_m (2011-03-22 21:22) 

tateichi_m

松田さん、
お元気そうで何よりです。教育ママゴンという怪獣は私の子供時代にも存在しましたが、モンスターママ達のやっている事はチンピラの因縁よりも性質が悪いです。
小学校の教員をやっている私の友人は、昭和にいた熱血教師のように強いです。外見と性格が松山千春のようなので、教育者には見えませんが。

IVY(団塊)世代は体制に迎合するすることなく、正義感が強いしハートに熱いものがありますので、仲間が困っていると助け合いの精神も旺盛でしたね。その中で培った精神と文化は後世に伝えるべきと思います。
by tateichi_m (2011-03-22 21:28) 

ぼんぼちぼちぼち

観入ってしまいやした。
先日(地震前)、この時代に創られた映画を観たのでやすが
それと合わせて、日本全体が ひたすらに前進していた時代だったのだなぁと
今 改めて しみじみ思いやした。

by ぼんぼちぼちぼち (2011-03-24 21:39) 

tateichi_m

ぼんぼちぼちぼちさん、
1960年に時の総理池田勇人が打ち出して高度経済成長の基礎になった、
国民所得倍増計画によって国民が一丸となった頃ですね。
頭からスカーフを覆ったサングラスの女性ファッションはティファニーで朝食をの、
オードリー・ヘプバーンのファッションが流行った'61、2年だと思います。
by tateichi_m (2011-03-25 01:45) 

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