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良い年をお迎えください [コミュニケーション]

本年最後の更新になりますが、一年のご愛読に感謝します。皆さん良い年をお迎えください。

黄金の1960年代に活躍した方々がこの数年の間に何人も他界されて、拙ブログでも哀悼記事を書いてきましたが、今年も各界の著名人が他界されました。俳優の池部良さん、小林桂樹さん、池内淳子さん、クレイジーキャッツの谷啓さん、子供の頃の人気番組「ひょっこりひょうたん島」の作家井上ひさしさん、野球界の重鎮大沢啓二さんなど、少年時代からの想い出に残る人達です。

「惜別の歌」 島崎藤村
遠き別れに 耐えかねて
この高殿に 登るかな
悲しむなかれ 我が友よ
旅の衣を ととのえよ

別れと言えば 昔より
この人の世の 常なるを
流るる水を 眺むれば
夢はずかしき 涙かな

君がさやけき 目の色も
君くれないの くちびるも
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ

君がやさしき なぐさめも
君が楽しき 歌声も
君が心の 琴の音も
またいつか聞かん この別れ

ショパン・イヤーでもあった2010年のラストは、ショパンのノクターン(夜想曲)全21曲から、第20番嬰ハ短調(遺作)「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」です。


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青い山脈 [コミュニケーション]

青い山脈.jpg 

1966年4月にリリースされた梶光夫さんの「青い山脈」は、1966年に日テレで放映していた「青い山脈」の主題歌です。画像中央は金谷六助役の関口宏さんと、寺沢新子役の加賀まりこさんです。観ていた方は懐かしいでしょう。7月4日の「ひと物語」でご紹介させて頂いた、札幌緑愛病院肝臓センター所長、肝がん検診団団長の、川西輝明先生が医療講演会などで歌われている曲目に「青い山脈」がありますが、爽やかなお声の感じが梶光夫さんと似ているように思います。先生の七夕のブログです。http://blog.goo.ne.jp/ryokuai_2007/d/20100707

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肝炎患者支援のための全国キャンペーン.png 

6月24日に配信された医療介護CBニュースによると、全国B型肝炎訴訟原告団・弁護団はこのほど、6月上旬に各政党と衆参両院の国会議員を対象に行ったB型肝炎訴訟への意識に関するアンケート調査の集計結果を公表した。政権与党として政策の主導的立場にある民主党は、421人の議員のうち回答したのは31人、回答率は8%にとどまった。

アンケートは、
1 全国B型肝炎訴訟について、早期に和解解決すべきだと思うか。
2 政府は速やかに被害者認定基準、および賠償額を含めた和解案全体を示すべきだと思うか。
3 政府は早期に和解を成立させるために、裁判所の和解期日を短い間隔で入れるようにする、あ   るいは裁判所以外での交渉を行うなどの対応をすべきだと思うか。
4 政府は予防接種による全国B型肝炎感染被害の全面解決について国民の理解を得るために、政府の解決に向けた考えを早期に国会等で示すべきだと思うか。
の4点について、「はい」「いいえ」の選択肢で回答するもの。

政党からは、民主党、自民党、公明党、共産党、社民党、みんなの党、新党日本の7党が回答。政権与党の民主党は、(1)の質問に「はい」と答えたが、他の質問にはいずれも無回答で、それ以外の6党は、いずれの質問にもすべて「はい」と回答した。民主党と連立政権を組んでいる国民新党からは回答がなかった。

議員からは、9つの政党の77人が回答。回答率が最も多かった政党は共産党で88%。以下は、社民党58%、たちあがれ日本40%などとなっている。一方、最も少なかったのは自民党で6%。民主党(8%)、国民新党(11%)も少なかった。 「はい」の回答が少なかったのは民主党で、各質問に設けられた記述欄には「つらい思いをしてきた人々をこれ以上待たせてはならない」との記述があった一方、「二者択一はできない」「早期和解を希望するが、司法には言及できない」などの意見も見られた。

とありましたが、国の過失であるにもかかわらず、この誠意の欠片もない国の対応の遅さから、ウイルス肝炎で亡くなられている患者がいるのです。多くの患者が差別や偏見に苦しみ、家族や仕事を失っている現状を、かつて旧厚生大臣の頃に薬害エイズ問題を解決した菅直人首相によって、迅速にB型肝炎問題を解決してほしいものです。この記事の下書きは早くから用意をしていたものですが、参院選が済むまでUPするのを延ばしました。


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ひと物語 [コミュニケーション]

3年前にネットで知り合った川西先生が所有する北海道の画家が描かれた絵画が、勤務する病院の待合室に飾られていて、先生がいらっしゃるときに観に伺いますと言いながら、多忙な先生の事を思うとなかなか伺えずにおりました。札幌緑愛病院の肝臓内科医師、川西輝明さんは外来や入院患者さんを献身的に診ながら、ウイルス性肝炎原告団の国会への署名提出の街頭署名や、医療講演会、交流会を道内各地や東京、大阪、名古屋、福岡などで精力的に活動されている方です。そのような先生の健康を心配して、オーバー・ワークじゃないですか!と書き込んだところ、「オーバー・ワークにならないように、気をつけないとって思っています。でも、ついついオーバー・ワークの先生をみて、もっとやってるのにって思ってしまうんですよねえ。自分の体を休ませることも大切なことなんですから気持切り替えないと。」

と云う、常に患者さんのことを考えた医療に向き合う、医師の鏡のような人です。川西さんは学生の頃から音楽がお好きで、現在は医療講演会、交流会などでウィルス性肝炎で闘病されている患者さん達を励ます為に、ご自分で作られた曲をギターで弾き語りをされています。私の言葉で書くよりも伝わりやすいと考えて、川西先生のブログ「肝臓病と共に生きるひとたちを応援します」に書かれている文章を拝借させて頂いて掲載します。

「今では音楽療法が、患者さんの治癒力を高めたり、精神的な安定をえられると、学問として認められるようになってきています。何かするにしても、学問的な根拠があると心強い、でも、そんなことが言われる前から知られていたこと。分かってる人は実践してたんですよね。しかし、積極的に広めるためには、こういった研究会や学会みたいな形が大切なんだなあと思います。私は、歌の集いというものを1995年の4月ころから始めました。それまでは、自己満足でフォークギターを弾きながら歌を歌っていたんです。ある日、患者さんから先生の弾き語りが聞いてみたいなと言われました。今まで、家族とか学校の音楽の時間のときとか、たまにしか人に聞かせることはなくて、患者さんに聞いてもらうなんてとっても恥ずかしかったのを覚えています。試しにと弾いて歌ってみたんです。そしたら、これはいい。今度、肝炎友の会の全道集会で弾いてくれって、300人来るからって言われたんです。ひえー、300人ですかあ。って感じでした。でも、患者さんがとっても喜んでくれるから、是非先生やってくださいって。その頃、私は診療所の副所長をしていて、入院のある診療所だったので、お昼休みに入院患者さんを集めて、練習もかねて演奏してたんです。みんなとても喜んでくれて、歌うことでこんなに元気になってくれるなら、頑張ってみようと思ったのがきっかけでした。私が弾き語りを一人でずっとしてたのは、これもまた、ストレス発散というとわかりやすいかもしれません。しかし、高校生の頃自分をとても責める性格で、自分みたいなやつはいなくなればいいと思うような青年だったんです。それを忘れるためにギターを弾いて大きな声で歌っていた。不思議と歌った後、何とかまた頑張ろうって気持になる自分がいて、こうして今があるような感じです。音楽は本当に不思議なものです。どんな形でも人それぞれが気に入った音楽があるなら、それは生きる力につながることがある。元気なときには音楽なんて無くても平気って思うことは多いかもしれませんが、辛い体験をしている人や、体が弱ってきてる人、悩んだりしてる人、なんらかの生命力が落ちていくような状況にある人にとって音楽は驚くような効果をだします。ふっとした辛いときに歌を聴いて涙ぐむなんて経験がある人ならきっと分かると思います。私はよく、自分で歌って、自分で泣いていました。それで、今があるって感じです。医療機関などでは、格好良くコンサートといって、交響楽だとか、クラシックだとかやっていますが、そんな形にこだわることなく、患者さんと歌う、集う。それも、主治医だったりすると効果は何倍にもなってるって言われたりもします。その人のこころのそばにある音楽こそ、生きる力につながる。理屈ではない、気持を伝えていくのが歌のすごいところです。」

という、お人柄が好きですねぇ。なかなかおりませんよ!こういうドクターは!

先日、NHK総合テレビの"ゆうどきネットワーク"「北スペシャル」で、川西先生の日常を取材したドキュメンタリー番組を放送していて、その番組の動画がYou Tubeに投稿されていますのでご紹介します。


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July [コミュニケーション]

THE WILD ONE'S.jpg 

ブログに時々ご登場頂いている芝孝史さんから、先日頂いたメールに嬉しい出来事が書かれておりましたので紹介します。芝さんが先日、「ケネディ・ハウス銀座」へワイルド・ワンズのライヴへ行った際に、ご一緒された方々のお一人の、高校2年のときからのご友人の女性が「孝史ちゃん(高校のときからそう呼ばれていた)が好きそうなことが書いてある、ブログを見つけた」と云って、「館一の回顧録」のコピーを持って芝さんに見せたのだそうです。そして、「昔から僕のことを知っているので、館一さんのブログを見たときは、僕と共通するものを感じた、と言っていました。ブログを全て読んでみる、とも言っていました。」と書かれておりまして、私のブログを見てくださっている見ず知らずの方の存在と、芝さんに伝えてくださったお気持ちがとても嬉しいですね。拙ブログをお気に留めて頂き、光栄に思います。今後とも宜しくお願い致します。芝さんと会食をする機会に、是非お目にかからせて頂けたらと思います。

ワイルド・ワンズは29年前に札幌にあったナイト・クラブ「サン・トレビアン」と、26年前に六本木にあった「ケネディ・ハウス」でライヴを聴きましたが、彼らのライヴは'60年代からビーチ・ボーイズやジャン&ディーンなどの、サーフィン・サウンドも得意としていました。

Jan&Dean.jpg

1963年7月のビルボード・ヒット・チャートで全米1位になった曲、ジャン&ディーンの「サーフ・シティ」です。この曲は1981年にコダック社のCMに起用されたことがあり、これをきっかけに彼らのアルバムが再発されるなどのブームがありました。電波媒体の影響は絶大です。

 

サーフ・シティ&ドラッグ・シティ

サーフ・シティ&ドラッグ・シティ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1996/07/10
  • メディア: CD

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SL 雨宮21号 [コミュニケーション]

Amemiya_21gou_Steam_Locomotive_Hokkaido_Japan.jpg

画像はPhotographerの"ほくなん"さんからお借りした、2006年5月21日に写されたSL「雨宮21号」です。(カメラ:NIKON D70s/露出時間:1/400秒(0.0025)/F値:f/5.6/ レンズの焦点距離:78 mm)

先日、NHK札幌放送局のニュースで動態保存が道内では唯一という、SLの「雨宮21号」が煙をはいて走る映像を見て感動し、これは是非乗ってみたいと思いました。「雨宮21号」は北海道オホーツク海近くの遠軽町丸瀬布にある「いこいの森」の公園内を走っていて、かつて丸瀬布町内で活躍した森林鉄道のSLだそうです。開園期間は4月下旬から10月下旬で、札幌から特急オホーツクで3時間半の距離ですが、このG・Wと紅葉が綺麗な頃にも行きたいなぁ~と考えています。oiraさんから「小ぶりで可愛い中にも、SLとしての雄々しさも備える勇姿でした」とコメントを頂き、お知らせ頂いたyoutubeの動画を観たら汽笛も独特で可愛らしいのです。「森林公園いこいの森」の詳細は、遠軽町の観光ホーム・ページをご覧ください。http://engaru.jp/kankou_info/maruseppu/sinrin-kouen/ikoinomori.html

「雨宮21号」は東京深川にあった雨宮製作所で昭和3年に製造された、北海道初の国産11トン機関車で、昭和3年に丸瀬布一武利意森林鉄道に配置され、昭和36年に廃止されるまで国有林から伐り出した丸太や生活物資の搬送に使用されたそうです。


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プー横丁の家 [コミュニケーション]

Y君&H君.jpg 

画像は私の大先輩のお孫さん二人ですが、この子達は赤ちゃんの頃から接しているので、甥か孫のように思っております。長男のY君は赤ちゃんの頃にCMに起用して撮影までいったのですが、人見知りが激しいのでスタッフを前に泣き出してしまい、撮影がN・G続きで残念ですがON・AIRに至りませんでした。お爺ちゃん譲りなのか、幼いながらも強いオーラがある二人です。

日比谷公園.jpg

若い頃にたいへんお世話になった先輩は、若き日に「松竹」のオーディションを受ける機会に恵まれましたが、諸事情で俳優業を断念されたそうでした。松竹出身の往年の二枚目俳優、「石浜朗」さんの時代です。1960年代の俳優は勝呂誉さんや竹脇無我さんなど、独特の個性を持つ爽やかな人が多くいました。


YouTubeで見つけた、双子の赤ちゃんの「いないいないばぁ!」です。先日書いた私が好きだった六本木のBAR「オールドパー愛」は、閉店して「いないいないバー!」になりました。(爆)

ロギンス&メッシーナの1972年にリリースされたシングル、『プー横丁の家』(House At Pooh Corner)です。

 

Christopher Robin and I walked along
Under branches light up by the moon,

クリストファー・ロビンとボクは
月明かりに照らされた木の枝の下をずっと歩いてきた

Posing our questions to Owl and Eeyore,
As our days disappeared all too soon.

フクロウとイーヨーをふたりで質問攻めにして困らせたりして
昼間はいつもあっという間に消え去っていく

But I've wandered today much farther than I should,
And I can't seem to find my way back to the wood...
So, help me if you can,

だけど、きょうはいつものボクより ずっと遠くまで行っちゃったんだヨ
それで森への帰り道がわからなくなったみたいなんだよ・・・
だから、できたらボクを助けてくれよ
 
I've got to get back to the house at Pooh Corner by one.
You'd be surprised, there's so much to be done,
Count all the bees in the hive,
Chase all the clouds from the sky...

プー横丁のお家に1時までに帰らないとならないんだ
みんながビックリするほど
やんなきゃならないことがすっごくいっぱいあるんだよ
蜂の巣の蜂を全部数えたりとか
お空の雲さんを追いかけていったりとかさあ・・・

Back to the days of Christopher Robin and Pooh...
Back to the ways of Pooh...

クリストファー・ロビンとクマのプーさんの頃に戻るんだ
プーさんみたいなやり方に戻るんだ


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良い年をお迎えください [コミュニケーション]

so-netにブログを公開して半年になりますが、今年の更新は今日で終わりです。ご訪問くださった皆様に感謝を申し上げます。ありがとうございました。景気低迷から先行き不透明な経済状況が続いておりますが、2010年が希望を持てる年でありますように、良いお年をお迎えください。

北海道での仕事上のお付き合いで、普段多忙でなかなかお会いする事が出来ない方々と、正月三が日に会食のスケジュールが詰まっている為、今年も年末年始を東京で過ごす事が出来ません。

Doctor Zhivago.jpg 見るまえに跳べ.jpg

三が日以降はのんびりとできますので、日頃読めなくて溜めていた読書の時間にしようと思います。昔読んだ事があって再度読みたい、ボリス・パステルナーク原作の和訳「ドクトル・ジバゴ」上下と、大江健三郎の「見るまえに跳べ」。2008年に発刊された武田邦彦の、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」です。昔読んだ大江健三郎の「見る前に跳べ」は、小説のタイトルとしても有名な著書で、元はイギリスの詩人、W.H.オーデン(ウィスタン・ヒュー・オーデンWystan Hugh Auden)の詩ですが、このタイトルからは決断力と実行力、飛躍を感じるので、来年の私のテーマにしようと思います。

環境問題はなぜウソがまかり通るのか.jpg

武田邦彦.jpg

「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の著者、武田邦彦のインタビューです。

http://www.youtube.com/watch?v=FTN9L-u1lEs  

スカバー262チャンネル「シアターテレビ」の番組、環境評論家、武田邦彦の「現代のコペルニクス」という番組です。

http://www.youtube.com/watch?v=pXghmUcfemE

 

ドクトル・ジバゴ 1

ドクトル・ジバゴ 1

  • 作者: ボリス・パステルナーク
  • 出版社/メーカー: 時事通信社
  • 発売日: 1980/01
  • メディア: 単行本

環境問題はなぜウソがまかり通るのか3 (Yosensha Paperbacks)

環境問題はなぜウソがまかり通るのか3 (Yosensha Paperbacks)

  • 作者: 武田 邦彦
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2008/10/02
  • メディア: ペーパーバック
見るまえに跳べ (新潮文庫)

見るまえに跳べ (新潮文庫)

  • 作者: 大江 健三郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1974/05
  • メディア: 文庫

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White Christmas 2009 [コミュニケーション]

WHITE CHRISTMAS KAYAMA YUZOH.jpg 

今年で3回目!北海道でホワイト・クリスマスのイヴを迎えます。音源は、フランク・シナトラの『White Christmas』です。 

過日のブログに書きました東京のSさんこと、芝孝史さんの著書とエピソードをご紹介させて頂きます。芝孝史さんは企業における管理職の適性を事前に評価・診断する、「マネジメント・アセスメント」の専門家として活躍され、上場企業など一流企業を中心に、これまでに課長クラスから部長クラスまで約1万5000人の評価・診断、管理職の昇進・昇格選抜のサポートを行い、その手腕と実績は非常に高く評価されています。2006年の11月に刊行された『一流リーダーは見た目が違う』の出版について、ご本人からコメントを頂いておりました。

「今回のテーマはアセスメントという手法で、企業で管理職に昇進・昇格候補者を評価をすることです。評価は知識だけではなく、その知識を行動化出来たかという点に着目します。知っていることを評価するのではなく、出来たことを評価し企業が求めている人材を探すことです。アセスメントの評価項目に【インパクト】という項目があり、これが所謂【見た目】にあたるのではないか、ということで出版になりました。」

一流リーダーは「見た目」が違う―人を動かす外見・表情・しぐさから、信頼される聞き方・話し方まで

一流リーダーは「見た目」が違う―人を動かす外見・表情・しぐさから、信頼される聞き方・話し方まで

  • 作者: 芝 孝史
  • 出版社/メーカー: 大和出版
  • 発売日: 2006/11
  • メディア: 単行本

なぜ、この会社は変われるのか?―ライオン(株)に学ぶ「社員の育て方」「組織の活かし方」

なぜ、この会社は変われるのか?―ライオン(株)に学ぶ「社員の育て方」「組織の活かし方」

  • 作者: 今井 秀之
  • 出版社/メーカー: 大和出版
  • 発売日: 2009/05
  • メディア: 単行本

私が少年時代から興味を注いできた、1960年代の音楽やファッション、カルチャーなどの想い出を懐古する形でブログを書いていますが、その想い出に対するストーリー性などに、共感を持って読んでくださる方のお一人が芝孝史さんです。私との共通点がとても多い方で、同じ目線で時代を感じ、その少年時代に抱いた価値観を共有出来ている事を嬉しく思います。以前頂いたメールに、ブルー・コメッツの感想が書かれていたのですが、この件りについても同じ感性を感じます。

「ブルー・コメッツはドラマの主題歌、『ある日私は』のテーマ・ソングも歌っていました。松原千恵子と川口恒が出ていました。川口さんとはたまに酒を飲みます。ブルー・コメッツはCMソングも歌っていましたね。『ハチハニーワイン』でした。ブルー・コメッツのサウンドを凝縮したかのような曲だったのを覚えています。偉そうですが、当時、ブルーコメッツに対する僕の評価は"JUNぽくて、おじさん臭いバンド"、"ベースの音が硬すぎる"などでした。いつの頃からか、『こころの虹』、『すみれ色の涙』、『海辺の石段』や、『冬の嵐』の"♪暖めておくれ僕を、君の胸で熱く熱く~、雪が降るよ果てしもなく降る~♪"を聞いた時に、とても良いなぁ―と思いました。聞く時期によって感じ方が違うのですね。」(JUNは1960年代に流行した、VAN、JUNのIVY2代ブランドです。後日、JUNの特集をUPします。)

芝さんは私と同じく中学受験をされており、ファッションも1960年代からIVYルック。中学時代にバンドを結成されて、モズライトのベース・ギターを弾くベーシストでした。現在、六本木のジャズ・クラブで「昭和ポップス」、「昭和の映画音楽」などのイベントを企画、演出して、定期的にライブをされています。

冬の嵐.jpg

先日UPした「海辺の石段」のB面、『冬の嵐』です。(音源はタイトルをクリックしてください)

すみれ色の涙.jpg

すみれ色の涙』1968年1月にリリースされた「こころの虹」のB面で、作曲は小田啓義です。


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外朗売 [コミュニケーション]

歌舞伎座 2007.9.jpg

2007年9月、東銀座の歌舞伎座で行われた演目のパンフレット表紙です。

最初に掲載した外郎売のセリフのテキストが、鮫島さんの音声のものと一部、母音、子音の読み方などに違いがありました。ご本人からご指摘がありましたので、鮫島さんのテキストと同じものに差し替えました。

鮫島宗哉さんのコミュニケーション講座の「声のレッスン」から、ある日のレッスンの中で読まれた、外郎売のセリフを音声でご紹介します。声優、俳優、アナウンサーなど、声や言葉を職業とする人たちが、発声・発音・アーティキュレーションのトレーニングに使っているのが、歌舞伎十八番の一、二代目市川団十郎の初演の演目、「外郎売」のセリフです。ご興味のある方は暗誦をして、忘年会や新年会の余興としてやると、拍手喝采間違いないと思いますよ。とても長~いセリフなので、コピペをしないで書くと覚えが違うと思います。鮫島さんが読まれている、音声にかかっている時間は3分45秒ほどです。

 

『外朗売 口上』
歌舞伎十八番の一
享保三年 二代目市川団十郎:作

拙者(せっしゃ)親方(おやかた)と申すは、御立合(おたちあい)の中(うち)に御存知(ごぞんじ)のお方(かた)もござりましょうが、 お江戸を立(た)って二十里(にじゅうり)上方(かみがた)、相州(そうしゅう)小田原(おだわら)、一色町(いっしきまち)をお過ぎなされて、青物町(あおものちょう)を登(のぼ)りへお出(い)でなさるれば、 欄干橋(らんかんばし)虎屋藤右衛門(とらやとうえもん)、只今(ただいま)は剃髪(ていはつ)いたして円斎(えんさい)と名のりまする。元朝(がんちょう)より大晦日(おおつごもり)まで、お手に入れまする此(こ)の薬は、 昔、ちんの国の唐人(とうじん)、外郎(ういろう)という人、わが朝(ちょう)へ来(き)たり、帝(みかど)へ参内(さんだい)の折(おり)から、この薬を深く籠(こ)め置(お)き、 用(もち)ゆる時は一粒(いちりゅう)づつ、冠(かむり)のすき間(ま)より取出(とりいだ)す。 依(よ)ってその名を、帝(みかど)より「頂透香(とうちんこう)」と賜(たまわ)()る。 即(すなわ)ち文字(もんじ)には、「いただき、すく、におい」と書いて「とうちんこう」と申す。只今は此(こ)の薬、殊(こと)の外(ほか)世上(せじょう)に弘(ひろ)まり、ほうぼうに似看板(にせかんばん)を出(いだ)し、 イヤ、小田原(おだわら)の、灰俵(はいだわら)の、さん俵(だわら)の、炭俵(すみだわら)のと、色々に申せども、 平仮名(ひらがな)を似(も)って「ういろう」といたしたは親方円斎ばかり、 もしやお立合(たちあ)いの内(うち)に、熱海(あたみ)か、塔(とう)の沢(さわ)へ湯治(とうじ)にお出(いで)なさるか、 又(また)は、伊勢(いせ)御(ご)参宮(さんぐう)の折(おり)からは、必ず門(かど)ちがいなされまするな。お登(のぼ)りならば右(みぎ)の方(かた)、お下(くだ)りならば左側(ひだりがわ)、 八方(はっぽう)が八(や)つ棟(むね)、おもてが三(み)つ棟(むね)玉堂造(ぎょくどうづく)り、破風(はふ)には菊(きく)の桐(とう)の御紋(ごもん)をご赦免(しゃめん)あって、 系図(けいず)正しき薬(くすり)でござる。イヤ最前(さいぜん)より家名(かめい)の自慢(じまん)ばかり申しても、ご存知ない方(かた)には、 正身(しょうしん)の胡椒(こしょう)の丸呑(まるのみ)、白河夜船(しらかわよふね)、さらば一粒(いちりゅう)たべかけて、その気味合(きみあ)いをお目にかけましょう。
  先(ま)づ此(こ)の薬を、かように一粒(ひとつぶ)舌(した)の上にのせまして、腹内(ふくない)へ納(おさ)めますると、 イヤどうも言(い)えぬは、胃(い)、肝(かん)、肺(はい)、肝(かん)がすこやかに成(な)って、薫風(くんぷう)喉(のんど)より来(きた)り、 口中(こうちゅう)微涼(びりょう)を生(しょう)ずるが如(ごと)し、魚鳥(うおとり)、きのこ、麺類(めんるい)の喰合(くいあわ)せ、その外(ほか)、万病速効(まんびょうそっこう)あること神の如(ごと)し。
 さて、この薬、第一の奇妙(きみょう)には、舌のまわることが、銭(ぜに)独楽(ごま)がはだしで逃(に)げる。 ひょっと舌がまわり出(だ)すと、矢(や)も楯(たて)もたまらぬじや(じゃ)。そりゃそりゃそりゃ、そらそりゃ、まわってきたは、廻(まわ)ってくるは、アワヤ喉(こう)、 サタラナ舌(ぜつ)に、カ牙(げ)サ歯音(しおん)、ハマの二つは唇(しん)の軽重(けいちょう)、開合(かいごう)さわやかに、 アカサタナハマヤラワオコソトノホモヨロオ、いっぺぎへぎに、へぎほしはじかみ、 盆(ぼん)まめ、盆米(ごめ)、盆ごぼう、摘蓼(つみたで)、つみ豆(まめ)、つみ山椒(ざんしょ)、書写山(しょしゃざん)の社僧正(しゃそうじょう)、 粉米(こごめ)のなまがみ、こん粉米のこなまがみ、儒子(しゅす)、緋儒子(ひじゅす)、儒子、儒珍(しゅっちん)、 親(おや)も嘉兵衛(かへい)、子(こ)も嘉兵衛、親かへい子かへい、子かへい親かへい、 ふる栗(くり)の木の古切口(ふるきりくち)、雨がっぱか、番(ばん)合羽(がっぱ)か、貴様(きさま)のきゃはんも皮脚絆(かわぎゃはん)、我等(われら)がきゃはんも皮脚絆、 しつかは(しっかわ)袴(ばかま)のしっぽころびを、三針(みはり)はりながにちよと(ちょと)縫(ぬ)うて、ぬうてちょとぶんだせ、 かは(わ)ら撫子(なでしこ)、野石竹(のぜきちく)、のら如来(にょらい)、のら如来、三(み)のら如来に六(む)のら如来、 一寸先(いっすんさき)のお小仏(こぼとけ)に、おけつまづきやる(きゃる)な、細溝(ほそみぞ)にどじょにょろり、京(きょう)の生鱈(なまだら)、奈良(なら)なま学鰹(まながつお)、ちょと四五貫目(しごかんめ)、 お茶立(ちゃた)ちょ、茶立ちょ、ちゃつ(ちゃっ)と立ちょ茶立ちょ、青竹茶煎(あおだけちゃせん)で、お茶ちゃと立ちゃ。来(く)るは来るは、何が来る。高野(こうや)の山(やま)のおこけら小僧(こぞう)、狸(たぬき)百匹、箸(はし)百ぜん、天目(てんもく)百ぱい、棒(ぼう)八百本、武具(ぶぐ)、馬具(ばぐ)、武具、馬具、三(み)ぶぐばぐ、合(あわ)せて武具馬具六(む)武具馬具、 菊(きく)、栗(くり)、菊栗、三(み)菊栗、合せて菊栗、六(む)菊栗、 麦(むぎ)ごみ麦ごみ、三(み)麦ごみ、合せて麦ごみ六(む)麦ごみ、 あのなげしの長(なが)なぎなたは、誰(た)が長薙刀(ながなぎなた)ぞ、 向こうのごまがらは、荏(え)の胡麻(ごま)がらか、真(ま)胡麻(ごま)がらか、 あれこそほんの真胡麻(まごま)がら、がらぴいがらぴい風車(かざぐるま)、おきゃがれこぼし、おきゃがれこ法師(ぼし)、 ゆんべもこぼして又こぼした、たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりから、ちりから、つったっぽ、たっぽだっぽ一丁(いっちょう)だこ、落(お)ちたら煮(に)てくを、煮ても焼いても喰われぬものは、五徳(ごとく)、 鉄(てっ)きゅう、かな熊(ぐま)どうじに、石熊(いしくま)、石持(いしもち)、虎熊(とらくま)、虎きす、中(なか)にも、東寺(とうじ)の羅生門(らしょうもん)には茨城童子(いばらぎどうじ)がうで栗(ぐり)五合(ごんごう)つかんでおむしゃる、かの頼光(らいこう)のひざ元(もと)去(さ)らず、鮒(ふな)、きんかん、椎茸(しいたけ)、定(さだ)めてごたんな、そば切(き)り、そうめん、うどんか、 愚鈍(ぐどん)な小新発知(こしぼち)、小棚(こだな)の、小下(こした)の、小桶(こおけ)に、こ味噌(みそ)が、こ有(あ)るぞ、 こ杓子(しゃくし)、こもって、こすくって、こよこせ、おっと、がってんだ、 心得(こころえ)たんぼの、川崎(かわさき)、神奈川(かながわ)、保土ヶ谷(ほどがや)、戸塚(とつか)を、走って行けば、やいとを摺(す)りむく、 三里(さんり)ばかりか、藤沢(ふじさわ)、平塚(ひらつか)、大磯(おおいそ)がしや、小磯(こいそ)の宿(やど)を七つおきして、 早天(そうてん)そうそう、相州小田原(そうしゅうおだわら)とうちんこう、隠(かく)れござらぬ貴賎群衆(きせんぐんじゅ)の、花のお江戸の花うゐ(い)ろう、 あれあの花を見て、お心を、おやは(わ)らぎやという、産子(うぶこ)、這(は)う子(こ)に至(いた)るまで、 此(こ)のうゐろうのご評判(ひょうばん)、ご存知ないとは申されまいまいつぶり、角(つの)だせ、棒だせ、 ぼうぼうまゆに、うす、杵(きね)、すりばちばちばちぐゎらぐゎらぐゎらと、 羽目(はめ)をはずして今日(こんにち)お出(い)での何茂様(いづれもさま)に、 上(あ)げねばならぬ、売らねばならぬと、息(いき)せい引(ひ)っぱり、東方(とうほう)世界の薬の元締(もとじめ)、 薬師如来(やくしにょらい)も上覧(じょうらん)あれと、ホホ敬(うやま)って、うゐ(い)ろうは、いらっしゃりませぬか。


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釧路 night.ないと.ナイト [コミュニケーション]

8月10日のブログ「北国の夏は短くて」に書いた福岡市内在住のSさんこと、鮫島宗哉さんと札幌で初めてお目にかかってから、早いもので12月9日で3年になります。ホテル・オークラ札幌のラウンジで、二時間余りの慌ただしい時間ではありましたが、元アナウンサーという職業柄と、お互いに広告業界のO・Bという共通点もあり、会話が途切れる事なく有意義な時を過ごす事が出来ました。

団塊世代である鮫島さんの、豊富な知識と話題には大変興味深いものがあります。先日のブログでご紹介した「ケネディと歌おう」のLPは、現在私の実家にもありませんので、この想い出につながる貴重な音源と資料を、昨年鮫島さんにお願いして送って頂いておりました。

鮫島さんは1971年から1974年迄、HBC北海道放送局でアナウンサーをされ、その後、単体で世界ランキング第7位、国内広告業界ランキング第2位の広告代理店である博報堂を経て、現在はフリー・アナウンサー、コーチ(日本プロ・コーチ認定評議会アソシエート・コーチ)日本コーチ協会福岡支部支部長、日本ファシリティー協会会員ファシリテーター、マーケティング・アドバイザー、特定非営利活動法人、NPO「博多自悠塾」塾頭などの肩書きを持つ方で、福岡、東京、札幌を中心に、コーチング、ファシリテーションの講座、コミュニケーション・ワーク・セミナーをされていて、行政コミュニケーション・コーディネーター、企業のコーチング研修なども行っています。

釧路放送局時代に鮫島さんがDJをされていた深夜放送番組、『釧路night.ないと.ナイト』が収録されたCDを、昨年12月に送って頂いておりましたので、今日は1974年4月のON・AIRで流れていた曲、"みなみらんぼう"の『コートにすみれを』と、鮫島さんがHBC札幌放送局でアナウンサーをされていた頃、1972年2月に開催された「札幌冬季オリンピック」に因んでリリースされた、鮫島さんお薦めの楽曲、"アン・ルイス"のデビュー曲『白い週末』、『白い街サッポロ』をUPします。アン・ルイスの"静"の時代とも云える、とても良い曲ですよ!

番組では宮城県や千葉県のリスナーからのハガキも読まれていましたが、特に北海道に在住されていた方、『釧路night.ないと.ナイト』のリスナーだったという方がおりましたら、この記事を通して懐かしく想い出される事と思います。鮫島さんが選曲された番組のテーマ曲は、英国の正統派スウィング・バンドで、アメリカのジャズ界でも著名なテッド・ヒース楽団の『ウーマン・ウーマン』です。You Tubeで探しましたが、残念ながらありません。

白い街サッポロ.jpg

♪私の心に雪が降ったら 初恋の悲しみをうめてくれるでしょう・・・。

 

♪北の果ての雪降るこの街は いつか住んだそんな気がする 通り過ぎる見知らぬ人影も どこか似ている遠い人に・・・。

 

みなみらんぼう.jpg


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December [コミュニケーション]

このブログの趣旨はタイトルにあるように、'60年代の懐古的な記事がメインですので、ブログテーマの性質上、政治や経済は書かないようにしているのですが、鳩山新政権が発足されて、民主党の"必殺仕分け人"による一大パフォーマンス、行政刷新会議「事業仕分け」が済んで、この結果にどれだけの効果が反映されるのか興味津々というところです。

昨年の夏に行われたNHK BS1の番組の、パネル・ディスカッションで知り合った、私の好きな作家である江上 剛さんの、11月12日のブログに小気味良いメッセージが書かれていましたので文面の一部を引用します。

「仕分け人、最後は自分が仕分けられ(詠み人知らず)にならないようにしてもらいたいが、つくづく民主党はパフォーマンス好きのように見えてきた。本当に派手な演出だ。期待したいが、この後がどうなるかが大事だ。国民向けに受けがよくても、多くの人の憎しみを買って、仕分け人や仕分け政治家が、いやな目にあわないようにしてもらいたい。蓮ホウさんには脅迫もあるみたいだから。脅迫はまだいいけど、小鳩から撃たれてしまうことの方が恐ろしい。小鳩がいつの間にかワシかタカになって仕分け人を仕分けするんじゃないかな。」続きはこちらから。http://blog.livedoor.jp/egami_go/archives/51393782.html

江上 剛.jpg

写真は昨年12月の中国取材で行った広州駅で写されたもので、江上さんの了承を頂いて掲載しています。今年の春に終了したNHK BS1の番組、「地球特派員」のコメンテーターと特派員をしていました。12月4日(金)22時から23時30分、NHK「日本の、これから」に出演します。

四十にして惑わず―サラリーマン「論語」小説 (光文社文庫)

四十にして惑わず―サラリーマン「論語」小説 (光文社文庫)

  • 作者: 江上 剛
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2010/01/13
  • メディア: 文庫

略歴
江上 剛:1954年生まれ。兵庫県出身。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。97年第一勧銀総会屋事件に遭遇し、広報部次長として混乱収拾に尽力、その後のコンプライアンス体制確立に大きな役割を果たす。銀行員としての勤務の傍ら、2002年「非情銀行」で小説家デビュー。03年退社後、作家として本格的に活動。経済小説の枠にとらわれない、新しい金融エンタテイメントを描いている。

 

江上さんのお宅には大きな黒猫のサクラちゃんがおりまして、「猫好きの友人との会話から、「猫好きは、他人の猫も、野良猫もみんな可愛いと思う博愛主義者だが、犬好きは、自分の犬が一番可愛いと思うという結論に達した。サクラは巨大化しているが、いつも僕のそばにいて、仕事振りを監視している。たいていは写真のように寝ながらだ。僕とは会話が成立する。」と書かれています。私も愛猫家なので、博愛主義なのでしょうか!?

江上 剛さんは朝日新聞の書評委員会の委員をしていて、委員会で親しくされている世界的に著名なイラストレーター、グラフィック・デザイナーである横尾忠則さんから、江上さんのブログにコメントを頂いてとても感激されていました。横尾忠則さんが1982年に画家への転向宣言をされたときに、資生堂のCMに油彩画が採用されて、この年に日本橋高島屋で開催された「世界のグラフィック・デザイナー11人展」のレセプションで、永井一正さん、田中一光さん、横尾忠則さんなどの蒼々たる方々に私もお目にかかる事ができました。

天井桟敷JUN.jpg

1960年代後半にブレイクした、アングラ(アンダー・グラウンド)劇、「天井桟敷」の横尾忠則さんのイラスト作品です。スポンサーはJUNでした。

1967年11月5日.jpg1967年11月にリリースされたザ・ハプニングス・フォーのデビューシングル、『あなたが欲しい』のジャケット・デザインは横尾忠則さんです。スロー・テンポの、とても良い曲です。音源はタイトルに貼っています。

 

 

 


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