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青春の光と影 [1960年代の洋楽]

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ジュディー・コリンズが1967年に発表したアルバム「 Wild flowers」に収録された「青春の光と影」は、1969年に公開された映画「青春の光と影(原題:Changes)」の主題歌に使われて、日本で上映されたのは1970年だったと記憶しますが、曲の方が先行ヒットして1968年~'69年にラジオの音楽番組でよく流れていて、音楽をこよなく愛す私の青春が輝き始めた頃の懐かしい1曲です。


Let's Live for Today [1960年代の洋楽]

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グラス・ルーツの1967年のヒット曲「Let's Live for Today(今日を生きよう)」は、リビング・デイ・ライトとの競作でオリジナルはイタリアで活動したイギリスのバンド、"ROKES"が「Piangi Con' Me」というタイトルで1966年にイタリア語で歌ったサンレモ音楽祭の入賞曲でした。日本ではテンプターズの1967年のデビュー・シングル「忘れ得ぬ君」のB面で、リビング・デイ・ライトの方をカヴァーしていましたが、こちらの方が馴染み深いと言う人が多いでしょうか。

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今日を生きよう」←音源はタイトルをクリックしてお聴きください。


Vanity Fare [1960年代の洋楽]

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"ヴァニティ・フェア"はロンドン東部のケント州出身のポップ・バンドで、グループ名はイギリスの作家"サッカレー"の長編小説「虚栄の市(Vanity Fair)」から取ったそうですが、これにインパクトをつけるために"Vanity Fair"を同じ発音の"Vanity Fare"に変え、「運賃」という意味がある"fare"を別義の「料理=ごちそう」として、「幅広い音楽の、ごちそうを提供しよう」という趣旨の意味を持つそうです。海外のバンドはメンバーの頭文字を単純に並べたり、出身地の名をそのままつけたり、私のようにいつもお金にピーピーしていたメンバーの、スラングでつけられたあだ名を表記したりと、日本にはないユニークなネーミングのグループがありました。

1969年にクリフ・リチャードとの競作になった「しあわせの朝」が、全英ヒット・チャートで8位になり、全米では12位にランク・イン。続けてリリースした「夜明けのヒッチ・ハイクは、1970年1月に全英で16位、全米で5位になった曲です。"ヴァニティ・フェア"は"エジソン・ライトハウス"や"フライング・マシーン"のような、バブルガム・ミュージックと云えるバンドでした。


恋する少年兵 [1960年代の洋楽]

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恋する少年兵」←音源はタイトルをクリックしてお聴きください。

1月17日にコリーン・ラベットの「帰らぬ少年兵」をUPしましたが、今日はこの楽曲に歌われているストーリーの前編的な「恋する少年兵」を紹介します。以前「帰らぬ少年兵」の検索からのご訪問で、コメントを頂いていた"還暦間直"さんのように、1966年~67年にラジオの洋楽番組でよく流れていた、この曲のファンが現在もかなりいらっしゃいますので二曲UPします。

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ASTRONAUTS [1960年代の洋楽]

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2008年にVANのTシャツにもコラボされている人気キャラクター「スヌーピー」が、NASAの有人宇宙飛行プログラムの公式シンボルを務めるようになって2008年で40周年を迎え、そして1969年7月16日に人類初の月面着陸を果たしたアポロ11号より2ヶ月先立って、ドレスリハーサル号として打ち上げられたスヌーピーとチャーリー・ブラウンのコードネームでも知られるアポロ10号が、1969年5月18日に月に向かって飛び立ってから昨年で40年になります。この一連の歴史的な事柄を記念して、昨年の春から夏に東京、横浜、名古屋、札幌、高松、松山などで、百貨店を中心にイベントが開催されて大盛況だったそうです。アポロ11号の乗組員が使用した腕時計、オメガのスピードマスターに当時人気が殺到しましたよね。

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こちらは1965年に海外初公演を日本で行った、ザ・アストロノウツのヒット曲です。「太陽の彼方へ」が大ヒットしたエレキインストのグループで知られていますが、ビーチボーイズのようなサーフィン、ホットロッドサウンズにボーカルを入れた曲もあり、なかでも私が好きなのはレイ・チャールズの曲をカヴァーした「アンチェイン・マイ・ハート」ですが、音源がないので「Come Along Baby」をUPします。


THE VENTURES [1960年代の洋楽]

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現在も毎年全国公演を続けて、人気が衰えることがないベンチャーズの代表的なヒット曲に、サンプラザ中野が歌詞をつけたパロディ版"夏が来た"と、"渚の女王様"のメドレーです。"夏が来た"は1996年6月にテレビアニメ化されて高視聴率を獲得した、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で一時期オープニングに使われていました。この曲は新年にDr.SCOOPさんが送ってくださった、加山雄三のCD「渚の若大将」に収録されていて、とても愉しく聴いております。そう云えば「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のドラマ版第二話に、加山雄三が本人の役で出演していましたね。「かめありこうえん」と、虎ノ門のホテル・オークラのレストラン「カメリア・コーナー」、響きが似ていると感じるのは私だけでしょうか?


The Beach Boys [1960年代の洋楽]

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この三連休に行楽を楽しんだ人が多いと思いますが、梅雨明けから各地で猛暑になっているようで、北海道も昨日は気温36℃になった地域がありました。夏の観光シーズン真っ盛りの札幌は、明日21日から大通り公園のビア・ガーデンが開かれますが、「さっぽろ夏まつり」の実行委員会は、周辺のマンション住民から騒音の苦情が相次いでいるため、今年からラジオ局のサテライト生放送やステージを行わない方針を決めたようです。ビア・ガーデンは昔からバンド演奏が付きものでしたが、いつからか東京のデパートではビア・ガーデンそのものが激減していますね。銀座や渋谷などのビア・ガーデンで、バンド演奏を聴きながら飲むのが夏の楽しみのひとつでしたのに。

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1964年にリリースされた「Fun Fun Fun」、1966年リリースの「Good Vibration」。By The Beach Boys!

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The Lettermen [1960年代の洋楽]

2008 07 07.jpg昨日は七夕でしたが、"たなばた"だけに、たくさんの願い事が"たなぼた"式に叶うと良いですね(爆)。そして7月7日は地球環境について考える、「クールアース・デー(地球温暖化対策の日)」でもあって、このキャンペーンは2008年に創設され、開始時刻の午後8時には東京タワー、レインボー・ブリッジ、札幌時計台、名古屋城、通天閣、東大寺、など‥。全国各地のライト・アップされたランド・マークや、官公庁や学校などの公共施設、全国の店舗やオフィス・ビルの照明、大型ビジョンなどが一斉に2時間ほど明かりを消し、温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)を削減するという趣旨のもので、今年も「七夕ライト・ダウン」が展開されました。最近、鹿児島や福島などでゲリラ豪雨の被害が出ていますが、ニューヨーク、北京などの海外では40℃近い猛暑になっているようで、これも地球温暖化現象なのでしょうね。

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日本では1969年にリリースされてヒットした、夏を詩ったラブ・ソング、ザ・レターメンの「涙のくちづけ」です。The Lettermenの"Letter"は手紙ではなく"文字"を意味し、結成当時の50年代末はグループ名に学芸関係の言葉をつけるのが流行っていたので、その流れからグループ名をつけ、ステージ衣装もレター・カーディガンを着ていました。アイビー・リーガーは誰しもが持っている、セーターの必須アイテムですね。

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Stop The Music [1960年代の洋楽]

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「館一の回顧録」は音楽ブログではありませんが、生活に音楽が欠かせない私は、記事も音楽カテゴリーに集中していますね。ということで、今日のテーマは「ストップ・ザ・ミュージック」です(爆)。この曲は中学時代に友人達と組んでいたバンド「The Falls」(それはアメリカ英語でしょう!と叱られそうですが、当時VANが米語表記だったので![揺れるハート])のレパートリーで、私のパートはドラムスでしたが、先日のブログに書いた芝孝史さんは、中学時代にベーシストをされていましたので、その当時のエピソードを紹介します。

「ワイルド・ワンズが『想い出の渚』をヒットさせたのが、中1の秋でした。それから間もなく、僕たちもバンドを作りました。GSに憧れてバンドを初めたのですが、直ぐに、ストーンズやリズム・アンド・ブルースの簡単な曲(太陽のあたる場所、My Girl、ギミリトル・サイン、サニー)を演奏するようになりました。何故か、Beatlesはあまり演奏しませんでした。黒っぽい音楽がワルそうなイメージがあるので、なり切ろうとしていたのかもしれません。僕も学園祭に出ましたが、エレキで出ることは許されませんでしたので、エレキをアコースティックに持ち替え、僕は音楽室からコントラバスを借り、出場しました。P.P.Mやブラザース・フォーなどを演奏しているバンドを尻目に、Stonesの『As tears go by』と『Tell me』、Beatlesの『This Boy』の3曲を演奏しました。」

多感な少年時代にエレキ・ギターを弾いたりバンドをやっていたという人が多いと思いますが、こうして当時の想い出話を具体的に伺うと、自分の想い出と重なって懐かしさがこみあげますね。

スウェーデン出身のレーン&ザ・リー・キングスの「ストップ・ザ・ミュージック」は、英国のグループ、ディック・ショーダンのオリジナルをカヴァーしたもので、1964年にリリースされてフィンランドやノルウェーで大ヒットした曲です。デンマークのポップ・グループ、ザ・ヒット・メーカーズのヴァージョンもあり、日本では1968年にテンプターズがディック・ショーダンのオリジナルをカヴァーして、6月25日にリリースされたファースト・アルバムに収録されていました。また、スウィング・ウエストは1968年2月15日に、日本語で歌ったカヴァー・シングルを出しています。


60's Hit Parede [1960年代の洋楽]

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1966年にリリースされて1967年に全米1位になった、トミー・ジェームス&ザ・シャンデルスの「ハンキー・パンキー」とレインボウズの「バラ・バラ」は、見るもの聞くもののすべてが新鮮に映っていた、多感な中学一年生の頃に聴いていた、文化放送の「オール・ジャパン・ポップ20」にランキングしていた曲です。「ハンキー・パンキー」は音が大きいので、ヘッドフォン使用の方はボリュームを下げてお聴きください。

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1967年に全英5位、全米20位を記録した「口笛天国」は、当時イギリスの新人アーティストだった口笛ジャックこと、ジャック・スミスのヒット曲で、1968年11月にスタートした文化放送の深夜番組、日野自動車のスポンサーで放送されていた、「日野ミッドナイト・グラフティ 走れ歌謡曲」のテーマに使われたことでも知られていた曲でした。「口笛天国」はカーナビーツが漣健児さんの作詞でカヴァーして、デビュー・シングルの「好きさ 好きさ 好きさ」のB面に収録されています。私はザ・カーナビー・ストリート・セットのヴァージョンが好きでしたので、こちらをUPします。

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Mini Mini Rock [1960年代の洋楽]

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中学生の頃に聴いていた洋楽ヒット・チャート番組に、1967年5月にスタートした文化放送の「オール・ジャパン・ポップ20」がありました。今、1967年にリリースされた洋楽を振り返ると、'60年代の英米のヒット曲がこの年に凝縮されているように思います。アメリカのビルボードのトップ・ヒット・チャートにもランキングしていた曲から、旧西ドイツのグループThe Goosies(グーシーズ)がドイツ語で歌う、「Mini Mini Rock(ミニ・ミニ・ロック)」と、'67年7月1日にリリースされた木の実ナナのカヴァー・ヴァージョンです。

 

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ミニ・ミニ・ロック」←音源はタイトルをクリックしてお聴きください。

木の実ナナが着ているEIFFELの「IVY SISTERS」のロゴマークが付いた、ノー・スリーブのタートル・ネックとミニ・スカート、ロング・ブーツは当時、女性ファッションのトレンドでした。「IVY SISTERS」のロゴマーク入りの、紙袋もカッコよかったのです。

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見えにくいですが、ACEの隣りが「IVY SISTERS」です。'60年代を中心に'70年代にブレイクしたブランド・ロゴのタグですが、私が知るところでの現行のTRADブランドはBrooks Brothers、VAN、Kent、NEWYORKER、J.PRESS、FUKUZO、McGREGORですね。


POP'S PUNCH [1960年代の洋楽]

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「POPS PUNCH」のジャケットは1964年5月に発売された、平凡パンチ創刊号の表紙に使われた原画がデザインされています。このアルバムは「平凡パンチ」創刊800号を記念して、1980年に日本フォノグラムから発売された2枚組のオールディーズ・コンピレーション・アルバムで、小林克也とシリア・ポールによるDJ入りの、1950年代後半から'70年代後半までの楽曲が収録されています。

今日はSide Aから、ザ・ホンデルスの1964年のヒット曲「リトル・ホンダ」です。ホンデルスのグループ名は自動車メーカーのHONDAから付けられており、この曲で使われている「リトル・ホンダ」は当時アメリカで発売されたホンダのスーパー・カブで、1966年に日本で発売された「リトルホンダ」PC25、'69年のPC50というモペットタイプはネーミングのみの逆輸入でした。モペットというと1968年に公開された、ナタリー・ドロンとルノー・ヴェルレイ主演のフランス映画、「個人教授」で高校生役のルノー・ヴェルレイが、雨のパリの街をモペットで走るシーンを想い出します。

もう1曲は60'sサウンズには欠かせないホット・ロッド・サウンズ!、やはり1964年のヒット曲「ホット・ロード・ハイ」By THE HONDELLS。

 

Side A
1 リトル・ダーリン/ダイアモンズ
2 リトル・ホンダ/ホンデルス
3 ヘイ・ポーラ/ポールとポーラ
4 私のボーイ・フレンド/エンジェルス
5 涙のバースデイ・パーティ/レスリー・ゴーア
6 恋と涙の17才/レスリー・ゴーア
7 アイム・ノット・イン・ラヴ/10cc

Side B
1 火の玉ロック/ジェリー・リー・ルイス
2 悲しきインディアン/ジョニー・プレストン
3 アラブのアハブさん/レイ・スティーヴンス
4 けんかでデート/ポールとポーラ
5 縁は異なもの/ダイナ・ワシントン
6 タイト・ロープ/レオン・ラッセル
7 詩人/フィービー・スノウ


THE LEFT BANKE [1960年代の洋楽]

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以前クラシック音楽をアレンジしたバロック・ロックを数曲UPしましたが、N・Y出身の5人組グループ、ザ・レフト・バンクが1966年7月にリリースした「Walk Away Lenee(邦題:いとしのルネ)」、1966年12月リリースの「Pretty Ballerina(邦題:夢見るバレリーナ)」は、ハープシコードとストリングスを使ったクラシカルなアレンジのサウンドが大ヒットしました。「いとしのルネ」はフォー・トップス、フランキー・ヴァリによる、カヴァー・ヴァージョンもありヒットしています。

1967年3月にリリースした「Ivy,Ivy」はヒットしなかったため、この曲が収録されているアルバムは少ないようですが、私はこの楽曲も好きですよ、特にタイトルが!(笑い)


First of May [1960年代の洋楽]

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札幌市西区宮の沢にある、石屋製菓カラクリ時計塔「グランマイスター」です。 

風薫る爽やかな5月に入りましたが、今日5月1日は京都扇子団扇商工協同組合が1990年に制定した「扇の日」で、由来は「源氏物語」で女性が光源氏に扇を贈っていることから、5と1で「恋」という語呂合わせから付けられたそうです。今月は私の誕生月でもありますが、誕生日は「花火の日」だそうで、1733年のこの日、両国川開きで初めて花火が打ち上げられました。花火が大好きで直ぐに癇癪を起こす私の性格の訳は、こう云うことだったのですね(爆)。この川開きは徳川八代将軍の吉宗が行ったそうです。

若葉が萌える、この爽やかな5月を歌詞にしている楽曲があります。ビージーズの「若葉の頃(First of May)」もそうですし、テンプテーションズの「マイ・ガール」は、"外が寒いときでも、僕の季節は5月"、キャロル・キングの「空が落ちてくる」には、"あなたの顔を見るとき、5月のように心地よいの"と5月を形容しています。4月は花冷え6月は鬱陶しい梅雨があるので、私は爽やかな5月が一年で最も好きな月です。

1974年4月にリリースされた森山良子の「ある日の午後」にも、"五月の風"が歌われています。


Somethin' stupid [1960年代の洋楽]

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1967年に全米1位になったフランク・シナトラ、ナンシー・シナトラ親子のデュエット・ソング、「Somethin' stupid(邦題:恋のひとこと)」です。私がナンシー・シナトラのレコードを初めて聴いたのは、1966年にリリースされた「These Boots are Made For Walkin'(邦題:憎いあなた)」で、この曲も全米1位になった曲でした。他にも「バン・バン」、「サマー・ワイン」、「シュガー・タウンは恋の町」などが好きです。

 

 

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竹内まりやが大瀧詠一と、デュエットでカヴァーした「恋のひとこと」です。このアルバムは2003年10月にリリースされて、オリコン・チャートで1位になりました。竹内まりやが山下達郎のラジオ番組のコーナーで、1960年代のポップスをカヴァーしたことがきっかけとなり、洋楽ポップスのスタンダードに、カンツォーネ、ボサノヴァといった竹内まりやにとってのルーツ・ミュージックが収録されています。

 

 

Longtime Favorites

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2003/10/29
  • メディア: CD

バロック・ポップス [1960年代の洋楽]

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1968年にヒットしたバロック調ポップス三大名曲のひとつ、"バッハの小フーガ・ト短調"をアレンジした"誓いのフーガ"を4月1日UPしましたので、今日は残りの二曲"パッヘルベルのカノン"に歌詞を付けた楽曲、ギリシャのグループ「アフロディテス・チャイルド」の"Rain And Tears(邦題:雨と涙)"と、スペインのグループ「ポップ・トップス」の"Oh Lord, Why Lord(邦題:涙のカノン)"を紹介します「ポップ・トップス」というと、1971年にスマッシュ・ヒットした"マミー・ブルー"を想い出される方が多いでしょうね。


西暦2525年 [1960年代の洋楽]

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西暦2525年」←音源はタイトルをクリックしてお聴きください。

"誓いのフーガ"2010年から、515年飛びました!1969年8月10日にリリースされた、「ゼーガーとエバンズ」の大ヒット曲"西暦2525年"は、翌月の9月8日付のオリコンチャートの10位にランクインし、10月13日付のチャートでは1位になった曲です。S・F映画がブームになる前の1968年4月に上映された、「2001年宇宙の旅」が当時話題になり私も観ましたが、1967年にゼーガーが558年~1万年後を想定して書いたと思われる歌詞は、環境問題をテーマにした先駆的なものと云えます。

マイラブ・マイラブ.jpg"In The Year 2525"をカヴァーしているのは、1967年9月に"マイ・ラブ マイ・ラブ/離したくない"でデビューをした、「ザ・ヤンガーズ」です。このグループは新宿にあったジャズ喫茶、ラセーヌが全国からオーディショで選抜したメンバーで結成され、ラセーヌのステージを中心に活動していました。メンバーのひとりで、当時17歳だった鈴木陽一が作詞:作曲を手掛けたオリジナル曲と共に、洋楽をアレンジしたカヴァー曲のサウンド・レベルが高いバンドだと思うのですが、大きなヒット曲がないせいかG・Sでの扱いはB級とされています。因みにヤンガーズのファン・クラブ会長は、漫画家の富永一郎だったそうですが、西川きよしがタイガースを応援していたように、G・Sのファン・クラブには男性の文化人、有名人も多かったようです。


Twenty Ten 誓いのフーガ [1960年代の洋楽]

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クラシック音楽のメロディを使って詞を付けた楽曲は数多くありますが、代表的なのは1965年の大ヒット曲、女性R&Bグループ「The Toys」の"ラヴァーズ・コンチェルト"で、原曲はバッハの"メヌエット"でした。イギリスのグループ「Tinkerbells Fairydust」のセカンド・シングル、『Twenty Ten』(邦題:誓いのフーガ)は、1967年にリリースされて日本では1968年~69年に大ヒットした楽曲ですが、この曲もバッハの"小フーガト短調"をモチーフに構成されています。誓いのフーガは1968年11月のヒット・チャートで2位まで上昇し、年間チャートでは20位以内に入っていた曲です。因みに1位は1968年9月14日に日本でリリースされた、ビートルズの"ヘイ・ジュード"で、その後"ヘイ・ジュード"を抜いて1位になった曲は、1968年12月5日に日本でリリースされた、メリー・ホプキンの"悲しき天使"でした。

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「Tinkerbells Fairydust」の前身は「The Rush」という6人組のグループで、1967年5月にデビュー・シングル"Happy"をリリースしますがヒットには至らず、この後Decca RecordのプロデューサーVic Smithに誘われ、"ウオルト・ディズニーのピーターパンに出てくる、いたずらな妖精の魔法の粉"(これがかかると大空を自由に飛べるようになる)「Tinkerbells Fairydust」に改名しました。

冒頭の歌詞に"西暦2010年は今から43年後、その頃僕たちは一緒に歩んでいるだろうか。愛を語らっているだろうか。僕たちの生活は、バラ色になっているだろうか"、という詞があるのですが、当時は2010年なんて遙か彼方の事でしたのに、あれから43年もの歳月が流れました。


A Whiter Shade Of Pale/青い影 [1960年代の洋楽]

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私が洋楽を聴き始めたのが中学一年の1967年でしたが、ラジオで洋楽のヒット・チャートをよく聴いていて好きだった曲は、米国のロック・グループ、ジェファーソン・エアプレインの「Somebody To Love/邦題:あなただけを」と、英国のロック・グループ、プロコル・ハルムのデビューシングル、「A Whiter Shade Of Pale/邦題:青い影」でした。プロコル・ハルム(Procol Harum)のバンド名はラテン語で、英語の「Beyond these things」という意味合いがあるそうです。

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日産シルビアは1965年に発売されたスポーツカーですが、私は1988年に発売されたS13コンバーチブルタイプの「ヴァリエッタ」が好きです。このS13型シルビアのCMに「青い影」を起用して、ON・AIRされたのは1989年のことでした。リアルタイムでは知らなかったけれど、このCMから「青い影」を好きになった人が多くいます。

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青い影』音源は2曲共、タイトルをクリックしてお聴きください。

「青い影」はジョー・コッカーもカヴァーしていましたが、最近では英国のソプラノ歌手でNHKの「坂の上の雲」の主題歌を歌っている、サラ・ブライトマンが2000年にリリースしたアルバム、「LA LUNA」でカヴァーしていますし、英国のオペラ歌手ポール・ポッツも、昨年リリースしたアルバム第2弾、「PASSIONE~燃ゆる想い」で、青い影(センツァ・ルーチェ)をカヴァーしています。「青い影」は原曲であるバッハの組曲第3番二長調を基に作られていますので、クラシックを歌うサラ・ブライトマンや、ポール・ポッツの歌唱も素敵です。サラ・ブライトマンの「LA LUNA」は、9年前の7月から9月迄事故で入院して、ベッドから動けずに車椅子も使えなかった頃に、友人がCDウォークマンと一緒に持ってきてくれて、毎日聴いていた思い入れのあるアルバムです。

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青い影(センツァ・ルーチェ)』


Legend Of Xanadu [1960年代の洋楽]

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1968年に全英ナンバー・ワンのヒットとなった「Legend Of Xanadu」は、1968年6月15日にリリースされたジャガーズの4枚目のシングル、「二人の渚/キサナドゥの伝説」でカヴァーされました。当初は「二人だけの渚」がA面扱いになっていましたが、ジャズ喫茶などのライヴから「キサナドゥの伝説」に火が付き、A面に差し替えられて再リリースされオリコン・チャート20位に昇りました。ジャケット・タイトルの差し替え後も、「キサナドーの伝説」のままになっているのが'60年代らしいです。

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デイブ・ディ・グループの歌で「♪キサナドゥ~」と聞こえるところは、実は"In Xanadu"(イン・ザナドゥ)と歌っているのですが、レコード会社が「キサナドゥ」と表記した為、この歌を知っている世代にはキサナドゥと認識されています。"Xanadu"の発音は、キサナドゥではなくザナドゥです。

「Xanadu」とは北京から400キロほど北、ゴビ砂漠の東端、大シンアンリン山脈の南端にあった「元」の都市「上都」(Shang-tu)を英語化して表記したものです。上都は13世紀にフビライ・ハンが即位した都市で、現在はだだっ広い草原に遺跡があるだけのようですが、英語化したXanaduは「桃源郷」ユートピアという意味があります。これは1816年に詩人S.T.Coleridgeが、その詩Kubla Khan(原文)で壮麗で豪奢な都市と歌ったことに由来します。

私としては「キサナドゥの伝説」は本家のデイブ・ディ・グループ、ジャガーズは「二人だけの渚」が好きでした。中学2年生の多感な時代を過ごしていた、1968年当時を想い出します。

二人だけの渚」←クリックしてお聴きください。


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